2004年10月31日 / 最終更新日時 : 2020年8月22日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第9回『ハンカクサイ』 小林武史 私が生まれて初めて外国の地を踏んだのは、1961年の12月の末であった。親戚にロシア人もいたし、アメリカ人二世もいたので、外国というものに、憧れはあっても、それほど違和感はなかった。 私が落ち着いた国は、チェコスロバキア […]
2004年9月26日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第8回『無上の幸せ』 小林武史 アルバニアという国は、かつて、クラシック音楽を否定していた。体制の崩壊後は、認められるようになったそうだが・・・。由って立つ宗教のために、クラシック音楽を”不道徳”とする国もあり、自国の民族音楽以 […]
2004年8月22日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第7回『健忘症の私』 小林武史 1972年から現在まで毎年、海外で演奏をしている。この間、3回ほどは都合で外国に出掛けなかった年もあったが・・・・。 外国旅行では、演奏会を行う度に日記を書いているので、殆どのことは昔の手帳を読めば蘇ってくるのだが、実は […]
2004年7月18日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第6回『南米での指導』 小林武史 南米に興味を持ち、南米の各地を旅したことがある。演奏会を開催しながら指導もし、その土地の人々と交流を深めた。 ベネズエラが、私が旅した最初の南米の国であった。ボリビアやアルゼンチンにまで足を延ばし、ベネズエラとブラジルに […]
2004年6月13日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第5回『八丈島の團伊玖磨』 小林武史 去る5月17日は, 團伊玖磨先生が他界されて、3年目の命日であった。 先生は1962年ごろ、八丈島に別荘を建てられ、横須賀・秋谷のご自宅と往復しながら作曲と執筆に専念されていた。約40年前に建てられたその別荘は台風と白蟻 […]
2004年5月9日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第4回『猛獣に触れた感覚』 小林武史 高田栄一先生という爬虫類研究家の大御所と知り合って、四十年以上にもなる。 今は亡き團伊玖磨先生からのご紹介であった。團先生は高田先生の影響もあってか、蛇を飼われていた時期もあったようだ。 ところで、蛇にも意思は伝わるもの […]
2004年4月4日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第3回『矢印の付いた道』 小林武史 「ひとつの風が吹くと皆、そちらに靡く(なびく)。 自分のことだけを考えて、他人のことは考えない。日本は衰退の一途を辿っている・・・」あるテレビ番組での、某ニュースキャスターの言葉である。 人間だから、靡くのも […]
2004年2月29日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第2回『オーケストラのノルマ』 小林武史 1961年の暮れ、技術を磨こうと、チェコスロバキアに行くことにした。私は、翌年の2月に満30歳になろうとしていた。 デンマークのコペンハーゲンからチェコエアラインが出ているとのことで、コペンハーゲンに向かった。すると「チ […]
2004年1月25日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第1回『ボン』の一言 小林武史 「人は環境の子なり」。今は亡きわたしの恩師鈴木鎮一先生の格言である。鈴木先生は世界に冠たる「スズキメソッド」の創始者であり、幼児教育法の研究家として勇名をはせた方である。 私は地球上、あちらこちらと歩き回り、演奏会を […]
1993年6月5日 / 最終更新日時 : 2020年8月20日 M 神奈川新聞随筆欄 「鏡の中に映る自分」※全34回 平成4年1月~平成5年6月 第34回(最終回)『車のドアで指つぶし手術』小林武史 波乱万丈という言葉がある。人間は一生の間に何回か起伏を越えなくてはならない。それが仕事のことであったり、家庭の問題であったり、さまざまな事件が起こり得るが、自分が一生続けようと思っている仕事に支障をきたしたときのショック […]