2001年1月1日
「子供達の響き アジア」実行委員会
代表 小林 武史
通称、ぺルナンブコと呼ばれている木が南米にあり、ヨーロッパでは染料として、その木を輸入していた。
1700年代に入って、この木はヴァイオリンの弓を作るのに最適なことが分かり、世界中の弓作りが、この木を使うようになった。
弓を使って演奏する弦楽器奏者の数など、地球的自然の中では多寡が知れてはいるものの、
僅か三百年足らずで、ぺルナンブコの木は壊滅状態になり、伐採禁止になった。
密林の中でしか育たないこの木は、発芽してから使用できるまでに二百年もかかるそうである。
植林をしようにも、自然の密林の中で育った物しか使えないので、大変な困難を伴う。
現在、目先の事柄に追われて、取り返しのつかないことが、数限りなく地球上で行われている。
最も取り返しのつかないことは、人の“心の伐採”である。しかし、人の“心の植林”はまだ可能であるはずだ。・・・・・
人の心の植林は、宗教にばかり頼っていても可能性は少ない。昔からの宗教戦争がそれを物語っている。
人間の智恵を左右するには、人間の頭脳より人間の心に依るほうが行動が起こしやすい。
何故ならば、人間は感情の動物だからである。
世界の経済が不況にある時、頭脳だけで計算する人が多い。
これも必要なことではあろうが、子々孫々までのことを考える時、
また、己の身内の未来を案ずる時、現在の己が鏡になっていくことを思うべきである。
私がアジアの子供音楽祭を考えたのは、チェコにいたときの恩師が、
「平和と国際理解のために音楽をやるように」と遺言されたからでもあるが、
日本が現在、世界の“経済大国”であることを客観的に見て、問題がありすぎることに気がついたからである。
ある意味ではアジア諸国から羨望の眼差しで見られながら、軽蔑と憎悪の目も意識せざるを得ないのが、現在の日本だ。
戦争中に迷惑をかけた近隣諸国に対して、経済援助はしているものの、心の流通・交流が少ない。
過去の戦争問題に触れたがらない環境の日本に対して、近隣諸国の子供たちは、
小学生のうちから戦争博物館に連れて行かれて、戦争中の日本軍が行った残虐行為を見せられ、教育されている。
日本とアジア諸国の間にある精神的ギャップは大きい。
経済的に援助をしても、物質的なものに対しての感謝はされるだろうが、尊敬されることはないのである。
真の友情とは、イデオロギーを抜きにした交流から生まれる。
一応、中立的な国とされている日本が今、為すべきことは、アジアの国々との心の交流である。
企業はいろいろな意味で、援助金を出しているが、最善の方法がまだあるような気がしてならない。
私の考えた「子供たちの響き アジア」。
これは東西南北でなければならず、アジアの中の日本の立場を考えるとき、日本が主催することが一番良い方法ではないかと思う。
朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)の統一を願うのは、人道的に当然のことであり、
その架け橋を、子供たちの文化交流からスタート出来れば最高のことであり、
そのプロセスを日本人の手で、しかも日本の企業が協力出来るとすれば、日本に向ける眼差しも変わって来るであろう。
南・北朝鮮のみならず、中国と台湾も然り。
ベトナム、ミャンマー、カンボジアなどの社会主義国家もいろいろな意味で動き出している。
アジアの中で嫌われる日本ではなく、尊敬される日本になるためには、
一致協力して、私たちが住んでいるアジアの未来を考えるべきでななかろか。
中国では、西洋音楽をも否定した「文化大革命」という不幸な時代があった。
それでも地下に潜って勉強していた人たちが、現在に中国音楽界を担っている。
韓国でも、共産圏作曲家のものは演奏してはならない時代があった。
ヨーロッパでも、社会主義国に於いては、宗教音楽が否定されてきた。
現在は、すべてが変わった。
私は芸術祭に参加するため、北朝鮮に四度訪れている。音楽学校に入って指導もした。
そこの生徒たちが、バッハやモーツァルトなどを勉強仕手入るのを見て、私は感涙に咽んだ。
これぞ文化の原点であり、文化交流のチャンスは残されていたのである。
東西南北と言ったのは、中国も台湾も、北朝鮮も韓国も、他のアジア諸国も、
すべてのアジアの国という意味である。
私は二十数年の間、アジア諸国を歩いてきた。
子供たちの音楽祭をやれるように、そして合奏ができるように、と説いてきた。
やっとすべての国からOKのサインが出た。
リズムをきざむ者はメロディーを聴き、メロディーを奏するものはリズムとの和を考える。
これがアンサンブルの基本であり、アンサンブルの中から思いやりの心が生まれ、
それが和の精神、愛の精神につながり、新しい芽が出て育ってゆく。
子供たちの合奏こそ至上のものであり、「平和と国際理解」というテーマに夢を託すことができるはずである。
時間はどんどん過ぎてゆく。
後から植林しても、ペルナンブコの木は、二百年も経たなければ使えないのである。
その間に音楽も文化も、人間の心も無くなってしまう恐れがある。
文化を通しての交流からこそ、産業も、貿易も、企業も見直されるであろう。
そして、未来は子供たちにある。
戦争のない、平和な、世界の中のアジアを夢見たい。・・・・・・・