第5回『八丈島の團伊玖磨』 小林武史
去る5月17日は, 團伊玖磨先生が他界されて、3年目の命日であった。
先生は1962年ごろ、八丈島に別荘を建てられ、横須賀・秋谷のご自宅と往復しながら作曲と執筆に専念されていた。
約40年前に建てられたその別荘は台風と白蟻にやられてしまった。
現在のは建築家であるご子息の團紀彦さんの手で11年前に建てられたものだ。
広い庭のある、「白亜の殿堂」と形容するにふさわしい、白一色の邸宅である。
庭の海寄りには屋外ステージがあり、度々コンサートが催された。
八丈町名誉町民でもある團先生のこの別荘で命日の1日前の5月16日、ミニコンサートが開かれた。
生前、先生と親交のあった島外の人々も参加することになり、私たちは15日に八丈島に着いた。
昔はプロペラ機だったが、現在はジェット機で、羽田から35分ほどで着く。
短時間で行ける距離にありながら、台風の通り道ということもあり、普段でも天候が不順で、簡単には行けないのが八丈島である。
東京が晴れていても、島に着陸できなくて、引き返したりもする。“鳥も通わぬ”は、現在でも生きているのだ。
この八丈島を仕事場にされてから、團先生はしばしば言われた。
「作曲家は書いて書いて書きまくる。演奏家は弾いて弾いて弾きまくれ」と。
先生が私のために最初の曲を作曲(プレゼント)してくださったのも、この島であった。
「バイオリンとピアノのためのファンタジア第1番」がそれである。
先生の作品はオペラや交響曲、そして歌曲と室内楽、さらには映画音楽も入れると、数え切れないほど膨大なものになる。
執筆の分野でも、「アサヒグラフ」に毎週連載された「パイプのけむり」は、
1964年から2000年10月13日、同グラフが終刊になるまで続いた。
連載は1842回にも及び、単行本にして27巻の多くを数えた。著作はほかにも多数ある。
今回のミニコンサートは「團伊玖磨先生を偲ぶ会」というタイトルで、町民が主催した。
亜熱帯気候特有の湿気と、飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれる風と曇天の中、「会」は始まった。
團先生は熱帯地方の自然や動植物が大好きであった。
私の生まれ故郷であるスマトラ島を含めた東南アジアにも数回、ご一緒に旅したことがある。
その地の動物園にも足を運び、オランウ-タンとも戯れた。
東南アジアと類似した八丈島の気候が、團先生を虜にしたのだろうか・・・。
緑に囲まれた白いステージの上で、島の人々が「ぞうさん」を歌った。オペラ「夕鶴」からアリアを歌った。
私も天まで届けとばかりにマイクを使って、「ファンタジア」を弾き切った。