第34回(最終回)『車のドアで指つぶし手術』小林武史
波乱万丈という言葉がある。
人間は一生の間に何回か起伏を越えなくてはならない。
それが仕事のことであったり、家庭の問題であったり、さまざまな事件が起こり得るが、
自分が一生続けようと思っている仕事に支障をきたしたときのショックは大きい。
私が十九歳のころだったと思うのだが、戦後四年目で、進駐軍と呼ばれるアメリカ軍の兵隊がたくさんいて、
アメリカ人キャンプに室内楽やジャズを演奏しに行っていた。
また流行歌の伴奏やタンゴなども生活の糧として、クラシック奏者によって盛んに演奏されていた。
当時楽器も少なく、良いオールドヴァイオリンを持っている人は少なかった。
私もジャズやタンゴ、また進駐軍のキャンプ回りなどで収入を得ていたので、
一応古いドイツ製のヴァイオリンを買って持っていた。
ある日、仲間と一緒にタクシーに分乗して演奏会に行ったときに事件が起こった。
確かシンフォニックタンゴの演奏会で、日比谷公会堂に行くときだったと思う。
会場に到着してタクシーから降りるときに、先に降りた友人がいたずらをして、タクシーのドアを閉めたのである。
当時のタクシーは現在みたいなオートドアではなく、手動式で、しかも観音開きになっていた。
私の手の置き所も悪かった。左手で扉の所につかまっていたので、てこの応用で左手の中指と薬指を挟まれてしまった。
見るみるうちに指ははれ上がって、つめが真っ黒になってしまった。
すぐに近所の病院に行ったら、湿布をしてくれた。
もちろん演奏会どころではなく、家に帰ったが、痛みは増すばかり。
翌日の朝は腕の付け根まで痛くなってしまった。
家の近くの外科に行ったら、どこの医者がこんな手当をしたか、と怒って、すぐ手術をするという。
まず指の先をチョンと切って、血を絞り出した。腕の方から絞られたように思う。
真っ黒い血が湯飲み茶わんに半分ぐらい出た。
それから麻酔注射をしてペンチで、二枚のツメがはがされた。
ギギギーという音は今でも忘れない。レントゲン写真を撮った。
「少しひびが入っているし、まあ一年もしたら元に戻るでしょう」といわれて、初めて貧血を起こした。
一年間ヴァイオリンが弾けない。それからどうなるのだろうか。ヤンチャな私にもショックな出来事であった。
当時一緒にクワルテットをやっていたチェロ奏者の三鬼日雄さんが、大阪の楽器屋さんを紹介してくれた。
田一郎さんという人で、私の楽器を時価より高く買ってくださり、
「あなたの将来のために指を完全に治すこと」を条件に温泉宿に行くよう指示された。
楽器の代金は私に渡されず、温泉宿のおばさんに預けられた。和歌山県、紀伊半島の突端にある所だった。
十ヶ月そこにいて完治し、私の心に大きな火がともった。(バイオリニスト)
(おわり)