第8回『無上の幸せ』 小林武史

アルバニアという国は、かつて、クラシック音楽を否定していた。
体制の崩壊後は、認められるようになったそうだが・・・。
由って立つ宗教のために、クラシック音楽を”不道徳”とする国もあり、
自国の民族音楽以外に興味を持たない人々もいる。
 しかしながら現在では、発展途上国を含めて、ほとんどの国が
クラシック音楽に感化されているようだ。
クラシック音楽を”快楽”としてタブー視してきた国々ですら、
音楽院を造り、造りたがっている。
更にはオーケストラをも持ちたがっているようだ。
 私は、これまで、実際にそれらの国々のお手伝いをして歩いてきた。
 それにしても近頃、世界中が醜くなってきた。
勿論、我が日本も含めてだ。
 実際は力関係に由るのだが、気のあった者(闇)同士で共同謀議をして、
人間として、考えられないような破廉恥な行動をする。
人を殺めてまでも、自分たちを正当化しようとする。
 「人を殺しても良い」という宗教は無いと思うが、
人殺しの極致=戦争は、一向に無くなる気配は無い。
その戦争の”お題目”は、神のために・・・。
そして、神が守ってくれるから・・・。更には、聖戦だ!
 ユダヤ教とキリスト教、そして回教(イスラム教)は皆、同根で、
同じ神の名さえ出てくるのに、殺し合いが止まないのは何故だろうか・・・。
 ところで、上(権力者)の人たちは、無知蒙昧な人間をつくり出すことで権力を得、
金を儲けることができると考えているのではないだろうか。
 温暖化で地球環境が狂っているようだが、そんなことには一切お構いなく、
自国の経済のみを優先し、放射能を撒き散らし、
人間がのたうち回り、苦しんで死ぬのを見ても、せせら笑って、
いくら儲かるのかを計算している輩もいるようだ。
 青少年の教育こそが最も大切だと言いながら、点取り虫の、思考力の劣る、
公務員になることが最高だと思うような人間を大量につくり出しているのが実態ではないのか・・・。
 ヨーロッパから帰ってきて三十有余年、私はずーっと悩み続けている。
 最近、仲間ができて、アジアの子供たちに
モーツァルトや自国の作品を「合奏」させる場を設けようではないか、ということになり、
「『子供たちの響きアジア』を実現する会」を結成した
(趣意書があるので、希望者には差し上げたい)。
 さて、「合奏」というものは、複数の人間がやるもので、自己主張だけでは纏まらないのだ。
協調性を持たなければならない。
即ち、思い遣りの精神がなければ合奏はできないのだ。
そうした中からこそ”愛情”が芽生えてくるのは当然なことである。
 自分も他人もひとつの輪の中に溶け込んで、
モーツァルトなどを演奏することが無上の幸せであることを、みんなに体験させたい。

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