第1回『ボン』の一言 小林武史
「人は環境の子なり」。今は亡きわたしの恩師鈴木鎮一先生の格言である。
鈴木先生は世界に冠たる「スズキメソッド」の創始者であり、幼児教育法の研究家として勇名をはせた方である。
私は地球上、あちらこちらと歩き回り、
演奏会を挟んで請われるままに「スズキメソッド」の講習会をこれまで度々行ってきた。
ある時、ブラジルのクリチバという所でコンサートの後、大きな講習会を行った。
百人以上の子供たちと講師の指導をした。約二週間、朝から晩まで一人でこなした。
大人数の中にはそれぞれ、さまざまな性格があり、
それまでにも経験してはいることだが、根気と情熱と体力の必要な毎日であった。
大きい子や大人には、言葉(もちろん通訳付きだが)や態度で相手に納得させることが可能だが、
三歳児や四歳児に自分の意思を伝えるには、こちらが全神経を使って心で訴えることしか術がないということも分った。
百人以上いる生徒の中に、特別に落ち着きのない四歳の女の子がいた。
バイオリンを持たせても、あごで挟むことも拒否するし、自分の席をすぐに離れてしまう。
全くどうしようもないのだが立場上、この子だけを見捨てるわけにはいかない。
そこで、私はこの子の親を観察してみた。
その親は、下の子を抱いてあやしながら、絶えずこの子を怒鳴ったり、しかったりしている。
私は、この子を何とかしようと思い立った。
言うことを絶対に聞こうとしないこの子に、通訳付きではイライラがさらに募る。
ポルトガル語を五つか六つ覚えて、この子と「対決」した。
他の子供たちの時間を、この子のためにだけ割くわけにはいかないので、主に休憩時間を利用した。
私は自分の心をからっぽにして、走り回るこの子をつかまえ続けた。
時にはお菓子をあげたりしながら、
「ちょっとでよいから僕と一緒にバイオリンをあごで挟んでみようね」と言いながら私が何回かやってみせる。
通訳なしが功を奏したのか、日本語が面白かったのか。彼女はちょっと私のまねをした。
その時、彼女と私の集中力が一緒になったのだ。その時間は一秒であったか、0・五秒であったか・・・。
すかさず私は「ボン(良い)!」と言った。彼女の瞳が開いた。
私はこの時を待っていたのだ。(シメタ)と思った。それから毎日「ボン!」と言うことにした。
この子はなぜ、言うことを聞かなかったのか、どうして素直でなかったのか。
この子はそれまで、親からはもちろん他人からも褒められたことがなかったのだ。
実は、私の幼少時代が似た環境にあったので、彼女の上に私自身を重ねて見ていたのかもしれない。
クリチバでの私のクラスは閉講した。しばらくして、この子の親から日本語に訳された手紙を受け取った。
そこには「小林先生のおかげで家の子が返事をするようになった、とても良い子になった」と書かれてあった。