第6回『南米での指導』 小林武史

南米に興味を持ち、南米の各地を旅したことがある。
演奏会を開催しながら指導もし、その土地の人々と交流を深めた。
 ベネズエラが、私が旅した最初の南米の国であった。
ボリビアやアルゼンチンにまで足を延ばし、ベネズエラとブラジルには都合4回も訪れることになった。
 ベネズエラに行った時のことだ。空港からカラカス市に入るまで、道路沿いに丘が続き、遠くから見ると、
マッチ箱みたいな家がその丘一面に建っている。何百何千と建ち並んでいるのだ。
まるで、見事な絵画を見ているような感じがした。
 これは何ですか、と聞くと、「ランチョ」と言って貧乏人や国籍のない人、
はたまたギャングなどが住んでいて、普通の人は寄り付けない所だ、と知らされた。
 ブラジルにも全く同じものがあった。リオ・デ・ジャネイロのそれは特に有名で、「ファベーラ」と言う。
しかし、リオのカーニバルには、普通の人が滅多に入れないこのファベーラから、沢山の人が参加するそうだ。
 ブラジルは、とてつもなく大きな国である。
面積は854万平方キロメートルもある。因みに日本は37万7千平方キロメートルである。
 そのブラジルは総じて、日本より貧しいと言われている。しかしながら、私が回った十都市には全て音楽院があった。
日本では、中央都市以外には音楽院はほとんど無い。
世界の中でも文化程度が高く、経済的にも恵まれていると言われている日本なのに・・・・。
ブラジルのレシフェで、一般の生徒の外にファベーラに住んでいる“乞食の子”も教えた。
この子等は、一日バイオリンを習いに来ると、おやつが二回もらえる仕組みになっていた。
或る日、或る子が、顔をひどく腫らしてきた。
御貰いにも行かず、家族のことも考えず、毎日、自分だけがおやつを食べているということで、親から激しく叩かれたらしい。
その一方で、今まで見たこともないバイオリンで音が出せる事を知り、眼を輝かせている子もいた。
しかし、最後まで残った乞食の子はほとんどいなかった。
ところで、ベネズエラでも沢山の生徒を教えた。
その中に特別なグループがあった。カラカスから2千キロも離れた所から連れてこられた、インディオの子供たちの集団である。
 彼等は非常に真面目で3ヶ月後には白人の子供たちを抜いて、素晴らしい演奏をするまでになった。
 後で分ったことだが、これは当時の大統領のパフォーマンスで、
演奏会がテレビ中継された時、「インディオの集落に音楽院を造る」と、大統領は高らかに“公約”した。
だが、私が帰った後、そのグループは解散させられ、集落へ追い返されてしまったとか。
高位高官にある者のパフォーマンスが目立ち、彼等が交代すると全てが変わるのも、南米の国々の特徴だ。

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