第2回『オーケストラのノルマ』 小林武史

1961年の暮れ、技術を磨こうと、チェコスロバキアに行くことにした。
私は、翌年の2月に満30歳になろうとしていた。
 デンマークのコペンハーゲンからチェコエアラインが出ているとのことで、コペンハーゲンに向かった。
すると「チェコ行きの便はない」と言われ、オランダのアムステルダムまで飛ばされてしまった。
 生まれて初めての海外旅行である。何をどうしてよいのやら、全く見当もつかない。
下手な英語で質問はできても、返ってくる言葉は理解できない。「チェコのプラハ、プラハ」と喚くだけであった。
 何時間か待たされて、空港の職員に連れて行かれた所は、
みすぼらしい格好をした人が数人だけ並んでいる、ほとんど人目につかない隅の方の搭乗口であった。
 「何時に出発するのか」と聞いても「分からない」と言うばかり。
ここからチェコへ飛ぶと思われる人たちは、誰とも言葉を交わさず、額にしわを寄せて、うつむきかげんに立っていた。
時間はゆっくり流れていた・・・。
 12月の末ということもあり、寒くて雪が積もっていて、チェコスロバキアは暗かった。
そのチェコスロバキアはスロバキアが独立したので、現在、チェコとスロバキアという2つの国になっている。
 私のこれまでの人生で、当時のチェコスロバキアに居た3年間が一番、印象深い。
 いろんなことがありすぎたが、そこでは最高の経験をさせてもらったと思う。
良い意味での“長い3年間”であった。そのときから私は、「苦労」という言葉を使わなくなった。
「チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー」。そこには素晴らしい、愉快な連中がたくさんいた。
 40年前、私がコンサートマスターをやらせていただいたそのオーケストラのメンバーは、今でも私が訪れるのを待っていてくれる。
 だから私は、演奏会を兼ねて無理をしてでも毎年のようにかの地を訪問している。
しかし、残念ながら一人ずつ去って、逝く・・・。
ところで、ベートーベンのシンフォニー第5番「運命」を練習していたときのこと。
ポピュラーなこの曲は、誰もが暗譜で奏けるぐらい知っているのに、指揮者が長い話を始めた。 
オーケストラのメンバーは、横を向いたり後ろを向いたりして私語を交わしている。
指揮者が一頻りしゃべったところで、「ロズミーテ(分かりますか)」と聞くと、皆が「ネロズミー(分かりません)」と答える。
するとまた指揮者が話し始める。
 社会主義国には、“ノルマ”というものがあって、オーケストラの練習も4時間しなければならない。
しかも、同じ曲を3日間も繰り返さなければならないのだ。だから、4時間を使うために、いろんな工夫がなされる。
私が最初に覚えたチェコ語は「アノ(はい)」と「ネ(いいえ)」そして「ネロズミー」であった。
チェコを思うとき、時間はゆっくりと流れる。。

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