2006年4月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2006年4月号 第9回《音楽と旅して》(その4) 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で、私が紹介された音楽舞踊大学は、予科として六歳から始まる。専門部、大学部が十八~二十二歳までで、その後研究院となっている。別に“ […]
2006年3月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2006年3月号 第8回《音楽と旅して》(その3) 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 私は以前、ドイツからスペインに行くことになっていたが、「契約書」を送るように何回連絡しても返事がなかったので、一方的にキャンセルして行かなかったことがある。相手側 […]
2006年2月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2006年2月号 第7回《音楽と旅して》(その2) 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 日本では、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)はまったく孤立していて、何となく恐ろしい国だというイメージがある。 これは明治時代から続いている”誰かの何かの利益のため […]
2006年1月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2006年1月号 第6回《音楽と旅して》 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 大切な隣国、北朝鮮への旅 私はこれ迄、多くの国々を訪れた。旅の順序は前後するとして、先ず朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) に行ったことを記したい。 私はかつて、東 […]
2005年12月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2005年12月号 第5回《賞・音楽家としての発言権》 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 一九九六年度文化庁主催の芸術祭に、ヴァイオリンリサイタルで参加して「芸術祭賞大賞」を受賞した。今から九年前で、六十五歳になっていた。 一九八八年にも、同じ芸術祭で芸 […]
2005年11月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2005年11月号 第4回《信念》 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 身も心も疲れ果て家で寝ころんでいたある日、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニーオーケストラが日本に演奏旅行に来たとのことで、昔のオーケストラの仲間から電話が掛かって来 […]
2005年10月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2005年10月号 第3回 《共生》《ヨーロッパでの友》 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 一九九七年一月一日のNHK教育テレビで、「未来潮流」という番組をやっていた。京都大学の生態者井上民二教授のお話が中心であった。他にも何人かの学者先生のコメントがあっ […]
2005年9月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2005年9月号 第2回《「ヒンデミットのこと」》《「近衛秀麿先生と「共生」》 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 《ヒンデミットのこと》 「ヒンデミット ヒンデミット」と呼ぶ声に、黒い犬が五十メートルぐらい離れた隣家の庭から、鈴の着いた首を伸ばしてこちらを見た。 私の友人で、 […]
2005年8月1日 / 最終更新日時 : 2020年8月24日 M 音楽雑誌「音楽現代」 「続・ヴァイオリン一挺独り歩き」 「音楽現代」2005年8月号 第1回 「子供たちの響きアジア」に向けて 「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史 通称、ペルナンブコと呼ばれている木が南米にあり、ヨーロッパでは染料として、その木を輸入していた。1700年代に入って、この木はヴァイオリンの弓を作るのに最適なことが分 […]
2004年12月5日 / 最終更新日時 : 2020年8月19日 M 神奈川新聞随筆欄 「週言」 ※全10回 平成16年1月~平成16年12月 第10回(最終回)『外からの日本観』 小林武史 二十七年前に亡くなった伯母が、よく言っていたものだ。「人間、二十年は付き合わないと、本心は分からないよ」と。 今になって、その意味するところが、少しは理解できるようになった。 先頃、渋谷新一さんと二十二年ぶりに再会した。 […]