「音楽現代」2005年11月号 第4回《信念》
「子供たちの響き アジア」実行委員会 代表 小林武史
身も心も疲れ果て家で寝ころんでいたある日、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニーオーケストラが
日本に演奏旅行に来たとのことで、昔のオーケストラの仲間から電話が掛かって来た。
とてもだるかったのだが、皆が泊まっている品川のホテルまで会いに行った。
私たちの挨拶は乱暴である。
このいたずら彷主、こんちくしよう、不良め、生きていたか、どんな生活してんだ、
元気か、などと言って抱き合うのである。
話の内容も政治のことから生活のこと、友人のこと、指揮者の悪口(これは世界共通である!)、
そしていまだに食い物のこと、などである。
私は生き還った思いがした。皆が本当の姿を晒け出してくれるし、思想問題についても
怒鳴り合って話し合えるのだから。
もの言えばくちびる寒し秋の風、という雰囲気が現在、日本中に漂っている。
石川三四郎(社会主義運動家でアナーキスト)の伝記を読んでいるが、その中に、日本を愛すれ
ばこそ悪口も言うし批判もするのだ、と書いてあったが、私にも良く理解できる言葉である。
他国を愛せないで、どうして自分の国を愛せるのか。
彼は、戦争反対運動をしたことで官憲に付け狙われ、演台の上に立っただけで警察に引っぱられたそうである。
戦争とはどんなものか。
古い話で恐縮だが、一九九九年九月二十四日夜、NHK総合放送でやっていたこと(再放送)を紹介したい。
アンゴラの話である。絶えず戦争をしているアンゴラでは、地雷が猛威をふるつている。
一番多いのは旧ソ連の地雷で、二百グラムの火薬で足を吹き飛ばす。
殺さないで、一般国民に恐怖心を植えつけることに意義がある、と説明していた。
アメリカは新しい地雷を開発して、その数、十四万個といわれている。
また現在、世界中に一億二千万個の地雷があり、それを撤去するには千年もかかるそうだ。
アフリカで戦争を起こさせているのは、アメリカやロシアの大国で、その理由は、石油やダイヤ
の資源が欲しいからだ、とも語っていた。
戦争とは、いつもエゴから発するもので、私たちはエゴの理由を常に見極めなければならない。
何故か、どうしてか、を考えることは人間にとって一番大切なことではなかろうか。
そのためにはあらゆる経験を踏まえながら、知識を身に着けなければならないのでは・・・。
これは毎日の生活の中でも、音楽に付いても肝 心なことだ。
ところで、これだけは言える。どんな理由があっても戦争は忌避すべきものであり、
人殺しは絶対に許してはならない、と。
私は以前、現在幸せだ、と書いた。それは自分の意志で、自分の音楽で思想活動が出来るからである。
思想といってもそれは自由主義だ社会主義 だ、ということではない。
前号に書いた生態学者・井上民二教授の唱えておられる「共生」という意味を考えることが私の思想であり、
また近衛秀麿先生の言われた「経験」というものを加味し て行動に移すことも私の思想である。
人種差別という体験もしたし、人間に愛される経験もした。
人間何が幸せか、と開かれて、前にも書いたが私は現在が一番幸せだと思っている。
幸せという定義はそれぞれ、その人の人生に対する価値観で違ってくると思う。
例えばルンペンをしていてもそれで幸せだと思う人もいるだろうし、逆に豪邸
に住んで有り余るお金を持っていても満足出来ず尚、金だけに執着する人もいるが、私から見れば
不幸せな人である。
私はいろいろな経験をして来た。そして、いろいろな人にも出会った。
その中でもシュチェパーネックの生活を見て、この人の本心を悟り、また
彼の血の叫びを聞き、そして誰からも自分の意志を束縛されない
自由というものの尊さを知り、胸に痛く響いた。
人に言われたからでなく、自分で感じたことに信念を持って行動すること。
平和と国際理解などという言葉は誰でも発言するし、今さら目新しい言葉でもない。
しかし、そのことを身をもって経験して来た
世界的ヴァイオリニスト、シュチェバーネックの言葉は、私に行動を起こさせた。
そして近衛先生が度々言われた「経験」という言葉も理解出来るよぅになってきた。
前に刊行した拙著「ヴァイオリン一挺世界独り歩き」(芸術現代社刊)のあとがきに、
四十九歳になると書いてあるから、その後七十四歳の現在まで四半世紀もあちこち歩き廻り、
ヴァイオリンを弾き続けて来たことになる・・・・・・。