第33回『砂漠を愛するクウェート人』 小林武史
もう十年近くも前の話になるが、海水パンツを持って遊びに来て下さい、という便りをもらって、クウェートに行った。
クウェートでの仕事は、リサイタルが二度と、鈴木メソッドの話が、
日本人向けと外国人向けを合わせて三回、ということだったが、
結局は、ホームコンサートが三回追加されて、最後まで気が抜けなかった。
会場は、ヒルトンホテルのホールやイングリッシュスクールの公堂を使った。
ピアニストは、スロバキアから来ていた私の友人で、パヴォル・コヴァチ氏。
十七日間の滞在だったが、いろいろな体験ができた。
アラブと一口にいうけれど、アラブ諸国二十二カ国を指してのことであり、
イスラム教(回教)を主体とした民族からなる人種の住む土地は膨大なものである。
その中でクウェートは、非常に小さな国で、人口百三十万人ぐらい、
しかもクウェート人は六十万人しかいなくて、あとは全部外国人である。
そして何と、GNP世界一の金持ちの国である。
外国人はクウェート人の家には泊めてもらえない、といわれていたのだが、
幸運なことに、私は十七日間もクウェート人の家に泊めてもらった。
クウェート軍の大尉殿で、サガールさんという二十八歳の青年の家であった。
もう一人、私を泊めたいといって小林ルームまでつくって待っていた人がいたが、
サガール大尉はヴァイオリンを勉強中で、私に習いたいというので、彼の家にやっかいになった。
とにかく金持ちで、私の部屋にインド人の使用人をつけてくれた。
ひもを引くと使用人の部屋のベルが鳴るらしく、いつでもとんで来た。
大尉殿の仕事は午前中、空軍キャンプに顔を出し、コーヒーを飲んでくることだそうで、
昼に帰って来ると、ディスダシヤ(民族衣装)に着換えて、いつもぶらぶらしていた。
一緒に砂漠を散歩したとき、砂をつかんで風に流しながら彼はこういった。
「何て素晴らしいんだ。私は砂漠を愛している。君も砂が美しいと思うだろう。」
私はイエスと答えたが、実は水の方が好きだ。
彼はアメリカに留学していたことがあり、英語が達者で、私のものすごく下手な英語でも理解してくれた。
滞在中、私はアラブ料理しか食べなかった。手で食べることも教わった。
音楽会はほとんど外国人で、企業戦争の中に、文化も根強く関与していることがうかがえた。
各国が文化使節として、音楽家を派遣して来ていた。それを見て、日本企業の人たちが私を招待してくれたのだ。
演奏会は大成功で、三年後に再び招待してくれた。
そしてクウェート人の音楽院をつくる手伝いもさせられた。
アブダビからも声がかかり、ピアニストのコヴァチと一緒に出向いてリサイタルをやった。
クウェートでは、ペルシャ湾で、大きなモンゴイカを突いた。
海水パンツは無駄にならなかった。湾岸戦争後、サガール大尉からの連絡はない。(バイオリニスト)