第32回『通訳とは とても難しいもの』小林武史

私が十六、七歳のころ、東京フィルハーモニーの末席に座って、エキストラ団員として使ってもらっていたことがあった。
当時のコンサートマスターは夏目純一さんで、彼は夏目漱石の長男である。
ドイツに長く留学していたので、ドイツ語が達者で、ドイツ人が指揮をするときは通訳を兼ねていた。
そのころ、マンフレット・グルリットという指揮者がよく棒を振っていた。
彼は怖い指揮者で、怒りっぽく、大きな声でどなることがあり、
それでもオーケストラが上手くできないときには、夏目さんに通訳させて、オーケストラのメンバーに伝えることにしていた。
あるとき、怒った後で、夏目さんに向かって、皆に伝えろ、といったのだが、夏目さんはなにかオロオロしてなかなかものをいわない。
再び指揮者が怒ったとき、夏目さんが口を開いた。
そしていうには、「とても訳せる言葉ではない。ひどい言葉なので、皆には聞かせたくない。どうか分かってほしい」といわれた。
当時、だれもドイツ語が分からなかったので、夏目さんの気持ちも何となく察する程度であった。
私は後でドイツ語圏で暮らしてみて、汚い言葉がたくさんあるのに驚いた。
チェコ語にしてもそうだが、とても人の前で日本語に訳して伝えることができない単語がたくさんある。
ばかとか、くそとか、畜生などという日本語はかわいらしいものである。
ラテン系の言葉はもっとひどいそうである。
でもこれらの言葉が日常何気なしに使われていたとしたら、日本人が考えるほど深い意味がないのかもしれない。
通訳とはとても難しいもので、どんなにドイツ語ができても、
全く音楽が分からない人がオーケストラの通訳をすると、意味が違ってしまうこともある
私が日本に帰って来て、読響のコンサートマスターをしていたときに、ドイツ人の指揮者が棒を振ったことがあった。
コンサートマスターをやりながら通訳するのは疲れるので、通訳専門の人をお願いした。
ところが、その人は音楽を知らない人だったので、ときどきトンチンカンな訳し方をしていた。
指揮者はとても勘のよい人だったので、しまいには私に向かって、
この通訳は今、正しく訳したか、と私に聞くので、非常に困ったことがあった。
通訳がもしも怒って帰ってしまったら、私の仕事が増えるのである。
昔、ある人が、通訳を介してチェコ人に、小林君をよろしく頼む、といってくれたのだが、
後でチェコ人は、私に向かって、あなたをどうやって助けたらよいのだ、と聞かれて困ったことがあった。
目的語を持たない漠然とした、よろしく、という言葉は、外国語に訳すとき非常に苦労することが、私にも後で分かってきた。
現在は、英語やドイツ語はポピュラーになり、オーケストラの通訳はあまり必要がないようである。
それほど多くの人たちが海外に留学している。
夏目さんはまだご健在である。
今から半世紀以上も前に、ヨーロッパに独りで留学されて、日本に歴史を残してくださったことを忘れまい。(バイオリニスト)

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