第31回『“遅筆の天作作家・林 輝氏あだなはブラボーおじさん』小林武史
團伊玖磨先生の弟子で、作曲家の林 輝(はやし・てる)という人が、
1992年度笹川賞創作曲コンクールで、女声合唱曲を書いて一位になった。
二十年前に、團先生の別荘がある八丈島で林さんと知り合った。
そのころ彼は、「源氏物語」をオペラにする、と言っていた。
先日彼に源氏オペラはどうなったか、と聞いてみた。
何しろあれから二十年もたっているので、あきらめたのかと思っていたら目下、研究中とのことだった。
彼は作曲をしているのか、何をしているのか、よく分からない男だったので、私は彼が作曲家であることを忘れかけていた。
ところが、彼は勉強していたのである。
ここ何年間か、万葉集を研究するために、週に二度ずつ講習を受けに行っている、という話を最近聞いた。
当然、源氏のことも、あらゆる文献を調べて、この二十年間に、頭の中で回転させていたのである。
彼が曲を作って外に発表したのは、これで二回目だが、
一回目は1976年度に、全国学芸コンクールというものに参加して、ピアノのためのソナチネを書いて、やはり一位になっていた。
先日、中国に行ったとき、彼は秘書長という名目で、われわれに同行した。
福建省各地を回ったのだが、各都市について、また歴史について、あまりに詳しいので驚いた。
訪中は二十回にも及ぶ、と言っていたが、一回一回を無駄にしないで、常に勉強する人だと感心させられた。
才能に磨きをかける人である。
私は何年か前にクウェートに二度ばかり行ったことがあり、そのとき、古いテープをもらってきた。
それは砂漠の中で、遊牧民がえんえんと吹く一本の笛の音楽で、そこには幽玄の世界があった。
私は林さんにその話をして、アフリカの太鼓とヴァイオリンだけの曲ができないか、と相談してみた。
考えてみましょう、と彼が答えてから二ヶ月ばかりして、彼から便りが来た。
現在、太鼓の研究をしている、と書いてあった。
消印はマダガスカルになっていた。
植物の研究も兼ねて太鼓とヴァイオリンの曲を構想中とのこと、それから何回かマダガスカルに出かけて行った。
先日、突如として、短い曲を送ってきた。
「マダガスカルの夜」というタイトルがつけてあった。ピアノ伴奏がついていた。
中身の濃い素晴らしい曲だった。
何回か練習して、一応カセットテープにとったのだが、彼が持って行ってしまったので、まだ自分の演奏を聴いていない。
福建省の旅行のとき、演奏会で、ブラボー、ブラボーという声がして、
それが秘書長である林さんの声だと、われわれは気づいたのだが、中国側の人が、曲が終わる度にわめいている人がいるが、
どうも日本人のグループの人らしい、外に連れ出さなくてもよいのか、と言われて皆で大笑いした。
最近、東京で行われた私の演奏会でも、林さんのブラボーという声が聞こえた。
それ以来、彼のあだなはブラボーおじさんになってしまった。ブラボー林 輝さん。(バイオリニスト)