第19回『大きな体のいたずらっ子 ベルクマンとの出会い』 小林武史
トーマス・ベルクマンとの出会いは、1989年の6月であった。
彼はゲラルド・ホフヌンクの未亡人、アネッタと一緒に生活していて、
ホフヌンクの著作権を持っており、世界中演奏旅行をして歩いていた。
ホフヌンクは、音楽家の漫画を描いて有名になった人で、作曲家でもあった。
ベルクマンは、友人であったホフヌンクの未亡人と著作権を引き受け?て、この冗談音楽と呼ばれる作品を世界中に広めた。
私の友人の、ピアニストの紹介で知り合ったのだが、さっそく英国内で何回かのリサイタルをアレンジしてくれた。
ロンドンでは彼の家に泊めてもらって数日を一緒に過ごした。
彼はユダヤ人であるが、チェコの出身で、プラハの大きな新聞社の社主をやっていて、
ユダヤ人と右翼思想のためにチェコを追われ、英国で長く生活していた。
スロバキア出身の友人ピアニストとはチェコ語で話をし、私とはドイツ語で話をし、アネッタとは英語で語り合う日が数日続いた。
太った人で、いつも冗談をいっては人を笑わせていた。
世界中の音楽マーケットをもっており、マネジャーとしても一流で、
また世界中のオーケストラを指揮して歩き、決して威張ることなく、愉快で温厚な人であった。
今年の春、彼はついに日本にやって来た。
新日本フィルでホフヌンクの冗談音楽を上演した。チケットも売り切れで、大成功だった。
ただ、腰を痛めてステッキをつき、車イスに乗っていた。ステージでは、ステッキなしで出て来て立派に指揮をしていた。
彼はたばこが好きで、ヘビースモーカーだった。
心臓が悪いので、医者からも禁煙するようにいわれていたのだが、隠れて吸っていた。
アネッタに見つかるとしかられるので、そのたびに慌ててポケットにしまうので、彼のポケットは焦げて穴だらけだった。
百㌔を超える大きな体で、吸いさしの短いたばこを、ポケットから出して、こそこそと火をつけるのを見ていると、
決して偉大な大人には見えず、かわいいいたずらっ子を見ているようであった。
来年、また英国に演奏旅行に来るように、といってくれた。
来年、彼もまた日本に来るといって大変喜んでいた。
いつもにこにこしているベルクマンであったが、一度だけ怒ったのを見たことがある。
ドイツからロンドンの空港に着いた私たちの荷物が行方不明になって、その中には楽譜もえんび服も入っていたのである。
彼は空港に電話をかけてくれて、はじめはおだやかに話をしていたのだが、
向こうが理不尽のことをいったらしく、ついに、とてつもない声でどなりつけた。
荷物はその日のうちに届いた。チェコが社会主義から解放されて、彼は何十年ぶりで故郷に帰ることができた。
スメタナ・ホールで指揮をして、彼は倒れた。
アネッタから手紙が来た。彼は幸せだった、と書いてあった。また一人友人が消えた。(バイオリニスト)