第18回『生活困難でも音楽を 見せつけられた文化の違い』 小林武史

1989年に、やっと念願だったプラハの春音楽祭に出演できた。
社会主義国として最後の年になった。
それでも以前の暗いイメージからは少しずつ脱皮していたようには思うのだが、
1990年にまたプラハに行ったとき、あまりの変わりように驚いた。
才能教育の子供たちを連れて行ったのだが、初めてチェコに行く子供たちにとっては、
そこに自由がある、美しいプラハの町と、明るい顔の人々しか目に入らなかったはずである。
戦争中と戦後の感があり、モルドウ河の流れからも喜びの声がきこえてくるような気がした。
私がチェコにいた1962年から現在まで、約30年の間、さまざまなことがあり、
1968年には、民主化を叫んだ人たちにソ連軍が発砲した。
たびたびチェコを訪問していた私は、時を追って人々の気持ちを垣間見ることができた。
ソ連軍の介入に賛成の人もいたし、それぞれ自分の立場で状況に反応していた。
ブルノーフィルハーモニーの連中は、同じことが二度起こったら、私たちは銃を持って戦うといっていた。
楽器を捨てて戦うのだ、ともいっていた。彼らが祖国を愛しているのがひしひしと感じられ、日本と比べてみて胸が痛んだ。
人のいない所、また車の中で、大きな声で共産主義の悪口をいっていた。
どこにマイクが仕掛けてあるかわからないので、自分の家の中でも共産主義の悪口はいえないそうだ。
私が最初にチェコに入ったとき、友人が私のホテルの部屋に入り、部屋の中、電話機などを調べ始めたので、
何を探しているかと聞いたら、盗聴マイクだ、という。
まさかと思ったのだが、逮捕された人の話など聞かされて、背筋が寒くなったのを覚えている。
民主化の後、バーツラフ広場に花が置いてあった。
何人かの人たちは、やはり自由化のために犠牲になっていたのだ。
あれから3年目の現在、今度はチェコスロバキアから、スロバキアが独立しようとしている。
経済的な面を考えると、大変なことだと思うのだが、人々は、より自分たちの自由を欲し始めた。
しかし、その半面、前の社会主義の方が良かった、といい出す人も出てきた。
これは、旧ソ連の中でも同じだ、と聞いた。要するに経済状態が最悪なのだ。
人間にとって、食することがいかに大切かを教えられる。
イデオロギーなしでも食することができれば生きられる。日本の軍国主義時代にも自由がなかった。
ただ、心からうらやましいと思ったことは、ヨーロッパには、いつの時代でも芸術、そして音楽があった。
この生活困難なときに、彼らはスズキメソッド(才能教育)を取り入れようとし、私たちを招待してくれたのだ。
文化の違いを見せつけられた思いである。(バイオリニスト)

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