第16回『曲の合い間に首席3人が着席 酒に酔い演奏会に遅刻』 小林武史

チェコで、大変親切な友人がいた。
リヒャルト・ズボジールというコントラバス奏者で、1m90㎝のやせたのっぽだった。
彼はふだんおとなしいのだが、酒好きで、アルコールが入ると人間が変わってしまって、とんでもない行動をとるので、
当時の社会主義体制の中では要注意人物となっていた。
あるとき、酒に酔ってコンサートをすっぽかしてしまった。
私はコンサートマスターという職にあったので、彼の弁護をして、免職になることだけは勘弁してもらった。
今考えると、私もその昔、とんでもないことをやった経験があった。
東京交響楽団時代にアサヒビールコンサートというのがあって、
アサヒビールをスポンサーに、全国コンサートツァーをやっていた。
私はコンサートマスターで、私のとなりで弾いていた七沢とセカンドバイオリンのトップを弾いていた多(おおの)と、
この3人は仲が良く、いつも一緒の部屋に泊まっていた。
富山県に旅行に行ったときだったと思うのだが、旅館に着いて夜の本番までに時間があるから一杯飲もうということで酒盛りを始めた。
なに、ひと眠りすれば覚めるからという気持ちだったのだが、宿の女中さんが、あなたたち今日コンサートでしょう、という。
今もう始まっていますよ、といわれて驚いた。
何とその日はマチネーコンサート(昼のコンサート)だったのだ。
慌ててタクシーで会場に駆けつけたが、山田一雄先生指揮のウィンナーワルツが始まっていた。酔っていた勢いもあって、
曲の合間に堂々とステージに出て行って、他のメンバーを下がらせて着席した。
前の首席3人が、である。山田一雄先生は客演指揮者だったので、怒ることもなく無事コンサートを終えた。
当然団長から爆弾が落ちると思っていたし、もしかしたら首だなと、こそこそ話し合っていたが、何もいわれない。
東京に帰っても何もいわれないまま忘れてしまった。
ヨーロッパから帰って、20年もたってから昔話が出て、当時副団長だった伊堂寺さんに聞いてみた。
なぜあのとき団長は怒らなかったのかと。
伊堂寺さんいわく、団長は血圧が上がってひっくり返ってしまったそうで、
もしもその件で口を開いたら自制心を失って、お前たちを殺していたかもしれない。
この件に関して問題にすることすらタブーになっていたとのこと。
団長の橋本さんも、事務局長も、副団長も皆いなくなってしまった。
そして、東京交響楽団のメンバーも体制もすっかり変わってしまった。七沢もあの世にいってしまった。
チェコのズボジールも死んだというニュースが先日入った。
チェコの体制も変わったが、ズボジールは体制が変わる前に、酔っ払って共産主義の悪口をいって首になっていたそうである。(バイオリニスト)

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