第14回『バイオリンという楽器の難しさ 指のオートマチック運動』 小林武史
ダビッド・オイストラフが初めて日本に来たのは、もう何十年の前のことだが、
近衛秀麿先生の指揮で、モーツァルトのバイオリン協奏曲を、オーケストラで一緒に弾かせていただいたことがあった。
オイストラフは、大分緊張していて、というよりも、大変あがっていて、弓が震えていた。
そこで仲間が喜んだ。オイストラフでもあがるんだぞ。
しかし、その裏には、オレたちがあがって間違っても、大目に見てほしい、との意味が込められていたのである。
オイストラフはこういっていた。10日間もコンサートがないとあがるんだよ。彼のスケジュールを聞いて驚いた。
ほとんど毎日のようにコンサートがあり、世界中駆け歩いて、家にいるときは、食事中にもレッスンをしていたそうである。
ドイツにラインハルト・ペータースという指揮者がいて、一晩の演奏会で、バイオリン協奏曲の独奏を弾きながら指揮をして、
次にピアノを弾きながら指揮をして、休憩後にシンフォニーを指揮する、という特技がある指揮者である。
日本にも何回か来ているし、ベルリン・フィルなどにもよく指揮をしているのでが、ある日、私にいったことがある。
バイオリンという楽器はとんでもなく難しい楽器だ。例えば、メンデルスゾーンの協奏曲を弾くとする。
楽譜を覚えて弾いたって、あがってしまえば何にもならない。
ひどくあがった時には、頭の中がまっ白けになって何もわからなくなってしまう。
だから、バイオリン弾きは、練習のとき、メンデルスゾーンの協奏曲を弾きながら、
口笛でジャズが吹けるくらい指がオートマチックに運動されるように、さらい込まなければ駄目だ、といった。
そして、これはないしょだが棒を振るのは一番やさしいよ、といっていた。
私も棒を振るので、必ずしも棒がやさしいとはいいたくないのだけれど、バイオリンという楽器は高い音になると、
1ミリ狂っても半音や一音狂って聴こえることがあるし、上げ弓と下げ弓を間違えて、止まってしまうことだってあるのだ。
昔私が若かりしころ、チヤホヤされていて、あまり練習をしない時期があった。
メンデルスゾーンでも、パガニーニでも、ベートーベンでも、いつでもどうぞ、といったふそんな態度で、
また放送もコンサートもしょっちゅうやっていて、まるで怖いものがない時代でもあった。
あるとき、メンデルスゾーンの協奏曲を頼まれて、ほとんどさわらずにステージに出た。
指揮は、上田仁(まさし)さん、コンサートマスターは黒柳守綱さん(黒柳徹子さんの父上)。
二楽章で再現部が出てきたときにわからなくなってしまった。止まってしまったのであった。
上田さんがスコアを見せて、ここだここだ、といってくれたが、文字通り、頭の中がまっ白けになって足が震えてしまった。
そのとき黒柳さんが、ソロのパートを弾いて下さって、一緒に弾きながら思い出して先を続けることができた。
それ以来、今でも指のオートマチック運動の練習は欠かさない。(バイオリニスト)