第12回『困った時はお互いさま 人の情けの話・そのニ』 小林武史

列車からすぐ降りろ、といわれても、どうしてよいか分からず、黙っていると、今度は怒鳴られた。
隣の箱からステラが何事が起こったのかと、のぞきに来た。どうしてもビザはくれないという。
ただ降りろと怒鳴られる。しかも自動小銃を持ってだ。今度はステラが早口で何かいい出した。
向こうはますます怒り出した。
結局ステラがドイツ語に直して通訳してくれたことによると、今日はどうしても車中ではビザの発行はできないとのこと、
もしも逆らうと逮捕するといっていることなど説明してくれた。
 どうしたらよいかを、ステラを通しておうかがいをたてたところ、
国境まで行ってビザをもらい、それから通過が認められるとのこと。
私は30㌔のトランクと、重いショルダーバックと楽器を持っているのだ。
どうやって山の中にある国境まで、しかも夜中にいけるのか。
タクシーに乗るにしても、ルーマニアの金は一銭も持っていない。さすがに旅慣れた私も泣き出しそうになってしまった。
それを見て、ステラがいうには、私がそのトランクをウィーンまで持って行ってあげましょう。
あなたにとって楽器は大切でしょうから、楽器とショルダーバックだけ持って行きなさい、
といって彼女のウィーンの住所と電話番号を教えてくれた。
私は友人の住所と電話番号を教えて下車することになった。
同室のドイツ青年が、私にレイ(ルーマニアのお金)を分けてくれた。
途中またコントロールがあるからということで、トランクのカギも渡して、警備兵の小銃と一緒に下車した。
やっとタクシーをつかまえたが、10㌦もだまし取られた。
山の中の国境では親切に対応してくれて、駅までの道、そこからブタペストまでの行き方を教えてくれた。
それにしても顔写真を余分に持っていてよかったと思った。
もし写真がなければビザをもらえず、従って留置場行きだったのである。
それ以来、私はいつもビザ用の写真は、どこへ行くにも十枚は持って歩いている。
真夜中にテクテク歩いて、NAGYLAKという駅にたどり着く。しかし駅名が書いてない。
多分ここだろう、と明るくなるまで待つ。雨が降っていたら大変なことになっていた。
そして、ここは無人駅でもあったのだ。この列車の中でキップの買い方が分からなく、また怒鳴られて、
セイゲイドという駅でまた何時間も待って、何回も間違いながら、手まね足まねでやっとブタペストに着き、
そこでまたトラブルがあって、何キロか体重を減らされてウィーンに着いた。
友人に電話をしてステラの家に電話をかけてもらった。トランクは無事、友人の家に届いていた。
友人と一緒にステラの家にお礼にうかがって、どうして私のためにこんなに親切にしてくれたのか、と問うてみた。
彼女はイタリア旅行のときに、寝台車のまくら元に置いてあったサイフを盗まれて泣いていたら、
イタリア人の老紳士が何もいわずにたくさんのお金を貸してくれたとのこと、お互いさまよ、と彼女はほほ笑んだ。(バイオリニスト)

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