第11回『亡命した美人と一緒に 人の情けの話・その一』 小林武史
1ヶ月も2ヶ月も、独りで旅をして、その時は座り込んでしまいたくなるような、
また足がすくんでしまうような出来事があって、今考えると、2度と経験できない貴重なものに思えることがある。
先日ハンガリーの話をしていて、僕もハンガリーを通ったことがあるよ、といったことから走馬灯のように思い出したことがあった。
古い日記帳を引っ張り出してみたら、1981年のことだった。
ちょうど1ヶ月の旅で、まずギリシャから始まって、ルーマニア、ウィーンを出たり入ったりで、
チェコスロバキア、ポーランドなどでの演奏会があった。
ギリシャのテサロニキから列車でブルガリアのソフィアを通ってルーマニアへ。
テサロニキからは協演した指揮者のガラテイと一緒で、ソフィアでは5時間の待ち合わせで寝台車に乗りルーマニアのブカレストへ。
ソフィアでは通過ビザを車中でドルを払って取得した。
ルーマニアのビザは持っていたので心配はなく、ルーマニアでガラテイとの演奏会を終わってウィーンに行くときに、ハンガリーを通過する。
その通過ビザを事前に用意したかった。
旅行社に聞いたり、大使館に電話してたずねたのだが、いずれも車中でもらえるから大丈夫とのこと。
社会主義国家のルールを無視すると、とんでもないことになるのを、身を持って体験しているので、
何回も問い合わせたのだが、それでも大丈夫という。
寝台車で二人部屋の箱で、同室者は西ドイツの青年、隣の箱には妙齢の美人、
どうもルーマニアからオーストリアに亡命して、国籍を取り、ルーマニアに里帰りした人のようであった。
名前はステラ・バルバーネック。列車が走り出して間もなく、無人の荒野に入る。
夕日が落ちて、何と美しいことか。急に火が見えた。
何と昔さながらのジプシーが、幌馬車のそばでたき火をしていた。あっという間に過ぎ去った景色ではあったが、深く感動した。
私はジプシーをたくさん見てはいるが、こういう風景には初めてお目にかかった。
ステラも始めて見たといって感激していた。
彼女もルーマニア生まれであれば、当然ジプシーと接触もしているであろうに、
自然の中のこの絵画のような美しさに深く心をゆさぶれられたらしい。
ここで私はバイオリニストで、演奏旅行中であること、彼女はやはり亡命先から里帰りであることなど話し合った。
さて真夜中になり、ハンガリー国境に来た。当然パスコントロール、荷物の検査がある。
いつ見てもいやなものだが、自動小銃を持った国境警備隊の兵士とパスコントローラーが入って来た。
パス、といって命令調で手を出す。すかさず通過ビザをドルで払うから手続きをお願いします、といった。
彼らは何か話し合っていたが、駄目だ、という。
ブルガリアを通過するときも車中でビザをもらったこと、旅行社でも大使館からも車中でビザをもらえるといわれたことを説明したが、
頑として受けつけず、降りろ、といわれた。(バイオリニスト)