第9回『狂いやすい楽器を使って個性豊かな昔の名人たち』 小林武史
E、A、D、G、とは、ヴァイオリンに張ってある四本の線の音名である。
ドレミファでいうと、細い方から、ミ、ラ、レ、ソ、となる。
百人近い編成のオーケストラになったのは、ワグナーのころから響きの雄大さが要求されるようになってからであり、
その昔は優雅な、現在でいう室内楽的な要素が基礎のものが多かったようである。
従って、弦楽器は音量も小さく、バッハの時代には弓の形も違っていた。
ヴァイオリンの表板と裏板の間に、根柱という直径6.5ミリぐらいの柱を立ててあり、
弦を支えるこまとのバランスで音響の調節をしている。
約50年前、私がヴァイオリンを始めたころは、ガット線といって、羊の腸を加工したもので、
四本の線全部が裸線、要するに羊の腸を干したものをそのままプレスしたような感じのものだったのを覚えている。
色も黄色っぽくて、汗をかくとぬるぬるとして、すべって困ったものであった。
昔は根柱(魂柱と呼ぶ人もいる)も細かったし、ヴァイオリンを支えるあご当てもなかった。
それが今では、一番細いE線が鋼鉄線になり、その他の弦もアルミや銀をガットの上に巻いて強くしてあり、
中身もガットからナイロンの物まで出てきた。
ナイロンの上にもアルミや銀を巻いてあるが、音質はあまり良くない。
しかし、ガットよりも調子が狂いにくい利点があり、最近は好んで使う人が増えている。
弓は、ペルナンブコと呼ばれている南米産の木で作られていて、毛は馬のしっぽの毛をさらしたものである。
弓の元にあるねじで張り具合を調節するのだが、東南アジアみたいに湿度の高い国では、
毛がのびてしまって調節ができなくなることもある。
弓は18世紀にフランスで作られたものがあり、日本での最高値段は5千万円の弓があると聞く。
ヴァイオリンも、イタリアで作られたストラディヴァリュウスやグアルネリュウスという名器の中には、
何億円もするものがあるそうである。
近年、芸術家が技術家になったという話をよく聞くのだが、なるほどとうなずけるふしもある。
というのは、現在の演奏家の数も多いのだが、レコードやCDのジャケットを見ないとだれが弾いているのか分からないことが多い。
昔の名人たちは、レコードを少し聴いただけで、あ、エルマンだ、ハイフェッツだと理解できたものである。
それだけ個性が強く、また面白かった。私はエルマンもハイフェッツもなまで聴いたことがある。
彼ら名人たちの若いころは、みなガットの裸線を使っていて、
しかも、レコード録音は今と違ってテープを切ってつなぐなどということはなく、悪いところがあると、最初から取り直したものである。
私の若いころも、全部なま放送であった。私の20歳のころは、もう巻き線が普及していたが、
昔の名人たちのレコードを聴いて驚くことは、調子の狂いやすいガットの裸線を使って、
個性豊かな、取り直しのない、しかも完ぺきな技術で演奏されていることである。(バイオリニスト)