第7回『たっぷりお説教を食らう チェコ滞在中 同席した美女が通告』小林武史
コツコツ、コツコツと響く靴の音。エコーが影を生んで、その影も薄暗い明かりに消されがちで、
古い中世の住居の谷間に独りだけの姿が霧のように去っていく。
キザな書き方だが、30年前にヨーロッパに行った人、特に共産圏に行かれた人は、皆さん体験がおありと思う状況である。
私はしゃがんで、道路に触ってみた。生まれて初めて踏む外国のヨーロッパの土、そして石畳である。
当時のチェコは、食物も自由もなかった。現在のチェコスロバキアは、自由圏になり、何でも書けるが、
つい最近まで、うっかり真実を書くと、ビザがもらえず、チェコに入国できなかったのである。
1967年に帰国してから、読響に籍を置き、71年に退団してから何回もチェコに足を運んだ。
在チェコ中に、ホテルのレストランでビールを飲んでいたとき、3人の美女が私のテーブルに同席した。
東独からの留学生とのこと、片言のドイツ語で話し合ううちに、ビールが回り過ぎて、何を話しているのか分からなくなってしまった。
当時私は、チェコのモラビアの首都、ブルノー市にある国立ブルノー・フィルハーモニー・オーケストラのコンサートマスターとして赴任していた。
翌日、オーケストラ団長室まで来いとのこと、共産党員としての実績もある団長から、たっぷりとお説教を食らってしまった。
本来ならば国外退去させるとのこと、仲間の仲介もあってやっと取り成してもらった。
何でも酔っぱらった外国人(もちろん私、日本人のこと)が、わが神聖なる共産主義の悪口を言ったので許せない、
と通告があったそうで、仲間からは、美人に気をつけろ、とさんざんひやかされた。
衣食住というけれど、不思議なくらいそれらが少なく、音楽学校で宗教音楽をオルガンで演奏したために、
退学になった大学生もいた時代のことである。
それにもかかわらず、オーケストラで、ヤナーチェクのミサ曲が演奏されたことがあり、納得がいかなかった。
そのころ、「プラハの春、国際音楽祭」のオープニングは、チェコ・フィルハーモニーの「わが祖国」(スメタナ作曲)、
エンディングでは、ブルノー・フィルハーモニーのベートーベンの第九交響曲というのが恒例になっていた。
宗教的なものは禁止されているのではないか、との問いには、世界中から集まる観客に対するプロパガンダだろう、と仲間は言っていた。
3年間の在チェコ中に、約40回のソロを弾かせていただいた。
チェコスロバキア中、どんな田舎に行っても、音楽会には皆着飾って来る観客、
そして心から楽しむ聴衆の態度には、日本では感じられない雰囲気があった。
そしてそれは今でも続いているのである。
なぜヨーロッパなのか、その答えを見つけるのは、もっともっと視野を広めることであり、主義主張を心の中にしっかりと持つことである。
イデオロギーの善悪は別にして、彼らの音楽的イデオロギーは何百年も続いている。(バイオリニスト)