第4回『ネギやイモだと言われて「新潮45」広瀬研論文に疑問 バッハ聴いて何悪い』小林武史
いかに知識に満ち満ちている人であれ、人間というものは大なり小なり馬鹿(ばか)である。
しかし、自らの愚かさを自覚している者と、自らのバカさに気づかない者とは、雲泥の差がある。
-これは、「音楽現代」3月号の、「オンゲンジャーナル対談」の中で、対談者が北杜夫氏の言葉を引用したものである。
最近われわれの近辺で、話題になっている「新潮45」1月号に書いてある広瀬研という人の記事で、
何と見出しが、「列島各地の畠にニョキニョキ生えた“文化“会館にやって来る
ネギやイモに聞かせる何になる!? ベートーヴェンを聞いている顔か」という題で、
まず最初に、宮城県中新田(なかにいだ)町のコンサートホールのことを、
「住所が中新田町字一本杉という結構な地番に突然コンサート・ホールが生えて”バッハ・ホール“と命名され・・・、
またこのバッハ・ホール建設は、美談というより珍談の部に入っていたものである」と書いてある。
また長い文章の中で、あちこちの文化会館、人物などをこきおろしているが、これを面白いと感じる人もいるだろうけれど、
不愉快に思う人も少なくないのではないだろうか。
私も愉快に感じていない人間の一人。
というのも、実はそのバッハ・ホールの中に、将来の夢をもって、バッハ・ホールの創設者、
当時の町長、現宮城県知事の本間俊太郎氏と相談して、音楽院をつくり、私は現在、その音楽院長なのである。
その理由は前にも書いたが、文化は、今や大都市だけのものではなく、またわれわれがフォークやナイフを使ったり、
洋服を着ているのであれば、今や世界中の人びとがモーツァルトやベートーヴェンを聴いて何が悪い、と言いたい。
しかも、ボルネオの地方に行っても、ブラジルのセアラ州の田舎でも、はだしの子供たちがひどい楽器を使って、
現地の教会(これもひどいものだが)でモーツァルトを弾いていたし、
私は、世界中の子供たちが、国際語である音楽で結ばれればよいと思っている一員でもある。
そのために、バッハ・ホールに音楽院をつくり、子供たちに教え、アジアの子供、南米の子供たちにも教えてきた。
良い歴史を残そう、世界の平和を、と願う人も多いだろう。
あるタレントが、クラッシク音楽はまだ日本人には早い、と言ったそうだが、
そのタレントが下品なシモネタを使って画面に登場するよりは、貧しい子供たちに、
モーツァルトやベートーヴェンを、平和の信念を持って教え歩いている方がましだと思うが。
広瀬氏が、文章の最後に「ネギやイモに聞かせても何にもならんぞということだ」と結んでいるが、残念な言葉だ。
北杜夫氏の言葉が思い出される。しかし、広瀬氏の書いていることの中に真実もあるので、
その雑誌の性格もあるのだろうが、だったらどうしたらよいのかの持論も必要だったのではないだろうか。
全国に、公立の文化会館が1365もあるそうである。どうか中身をつくって下さい。(バイオリニスト)