第3回『「音楽院」を想定してコンサートづくり』小林武史

「世界の平和と、国際理解のために、音楽を続けろ」とチェコの恩師、シュチュパーネックの遺言もあって、
帰国後、世界中あちこちと飛び回り、幼少時代の恩師鈴木鎮一先生(現・才能教育研究会会長)と旧交を温めながら、
青少年の育成に取り組んでいる今日このごろである。
 現状とのギャップに、自分自身が錯誤しているのではないか、と悩みながらも、実行せずにはおられず、
行動を起こし、歩いているうちに、犬も歩けば、の例えにも恵まれて、幼少年教育の実務にも就けるようになった。
宮城県にある中新田(なかにいだ)町は、約1万4千人の人口で農家が多く、減反政策のあおりで半農半業になりつつあるが、
前町長が、文化は、今や大都市だけのものではない、という信念から、田んぼの真ん中に、コンサートホールを建ててしまった。
何年かたって、今後は中身を作ろう、ということになり、私が呼ばれて、音楽院が出来た。
 このホールの名前は、バッハホール、日本有数の音響効果を持ち、客席数約6百、コンサートのある日には、仙台からバスも出ている。
音楽院の方は、当初120名ほどだったが、田んぼのあぜ道に、
バイオリンケースを持った子供たちの姿が見られたのも、最近では減少してしまった。
理由は、建てた本人の町長が、県知事になり、現場にいなくなり、半官半民のために、ホールの責任者も4人目に代わり、
最初の情熱は薄らいでしまったようである。
宮城県内の講師に無理に願って、協力しては頂いているものの、彼らの生活を考えると胸が痛む。
 今や日本中に、コンサートホールというものができ、鳴り物入りでオープンはするけれど、
先細りで、閑古鳥が鳴いているホール、赤字でどうしようもなくなったホールが少なくない。
われわれが、目先のことだけで、物事を行って、日本国、地球の未来を真剣に考えないと、やがて、すべては滅びてしまうだろう。
わが神奈川県にも、ホールがたくさんあって、現在も横浜市緑区青葉台に、コンサートホールの建築予定があると聞く。
 港北ニュータウンに、ドイツ学校がある。校内にコンサートホールがあり、定期的にコンサートが行われている。
ドイツの航空会社、その他スポンサーの援助で成り立っているこの学校では、この地区の広報に案内を出し、無料でコンサートを聴かせている。
 日本には音楽学校はあるけれど、音楽院というものが少ない。
音楽院とは子供のための音楽専門分野を勉強する所と解釈するが、コンサートホールの中に、
最初から音楽院を(場合によっては音楽教室でもよい)想定してコンサートホールを建てたらどうだろうか。
しかし、お役所的経営では、必ず行き詰まるので、外郭団体の構想も必要である。欧米には、各地に音楽院がある。
コンサートホールは、音楽第一ではあるが、中身が伴ったとき、
音楽院生によるオーケストラも夢ではなく、東西南北、世界中の子供たちとの交流ができるはずである。(バイオリニスト)