「音楽現代」2007年8月号 第25回《上海そして雑感》

「子供たちの響き アジア」実行委員会  代表 小林武史

 上海音楽学院には既に二度、来ている。
皆、顔馴染みで、前に私がレッスンした子どもが二人も、コンクールで金賞をもらったといって喜んでいた。
 ヴァイオリン専任で趙基陽という先生がおられて、嬉しいことを言ってくれた。
 「小林先生に教わったことは、いつも気をつけて、今では間違いのない演奏をさせております」
 十年くらい前までは、オーケストラのメンバーでも、ヴァイオリンと胡弓を併せて演奏
する奏法が、ヴァイオリンの奏法に悪影響を与えていた。
現在では世界中のあらゆるメソッドを取り入れて研究され、世界に出られる
演奏家がたくさん出て来た。
 ここのピアニストは今までの中では一番良く、音楽院の伴奏専門の副教授、周糸刀秋と
いう先生であった。
 本番の日に、会場には控え室がないと言われた。
廊下で着がえるのかと怒ったら、金を払えば正面の立派な控え室に入れてやると言う。
通訳の金さんと主催者が大喧嘩。
上海の人はずるいし、金さんに分からない言葉(上海語)で話していると怒っていた。
 結局金さんが勝って、控え室を開けてもらったが、今度は、休憩なしでやってくれとのこと。
休憩があると客が帰ってしまうというのだ。頭に来たので曲目を減らすことにした。
結果はブラボー、ブラボーで拍手が鳴りやまず、減らした分もアンコールを沢山弾くことになった。
 翌年の「五月の春芸術祭」にぜひ出演してくれと頼まれた。
上海音楽家協会の会員にならないかとも言われた。
五月の芸術祭は体育大会に変更になり結局、行けなくなったが・・・。
 上海も食物がうまい。道端のワンタンの味も忘れられない。
ただ病気が流行っているときは止めたほうが良いといわれた。
 帰国の飛行機は日航で、喫煙席を要求したら空席がないといわれた。
どうしても喫煙席にしてくれと言ったらファーストクラスにしてくれた。
出発が遅れたのに、一時間四十分で成田に着いてしまった。

中国には数多くの芸術家がいて、その芸術家の卵も大勢、”埋蔵”されている。
演奏家も作曲家もいて、お国のものも頻繁に演奏されている。
国の理解と援助がなければ出来ないことで、これは北朝鮮(朝鮮民主主義人民
共和国)でもそうであった。
 しかし、お国のものが直ちに世界中に理解されるかというとそうではない。
西洋人が東洋人を蔑視する風潮がいまだに残っているし、西洋人は彼等の宗教的見地から、
自分たちの歴史に基づく美術的芸術的優越を揺るぎなきものと思っている節がある。
 東洋の歴史はヨーロッパやアメリカのそれよりもはるかに古く、文化も古いということを理解したがらない。
私達はもっと西側の文化を勉強し理解することができたらアジアの
文化と合わせて、彼等の倍以上の知識を持つことができることを私は信じて疑わない。
それには彼等の知識も身に付けて己れのものとし、相互理解を深めることが大切である。
 私は何故、どうしてということを絶えず考えるようにと提言し続けている。
私がヨーロッパにいるとき、チナ、黄色といって馬鹿にされたことがある。
チナとは中国のことである。過去、日本人が中国人のことをシナ人と呼び、
朝鮮半島の人を、チョウセンジンといって侮辱したのは事実である。
では、なぜそういう事があったのかということを深く考えたことがあるだろうか?
なぜ殺し合うのか、なぜ戦争を起こすのか、どうして憎しみ合う
のか、我々は深く思考しなければならない。
 中国の作曲家たちの作品を、中国の中だけで演奏していても始まらない、
作曲家も演奏家もどんどん外に出るべきである。
現在、開放政策がとられているのは大変結構なことではあるが、その作品が中国の国民だけに理解
されるものでは駄目で、またヨーロッパの作風を真似ただけのものでも相手にされないのは理の当然である。
アジア民族の一員として、我々ももっと試行錯誤しなければならない。
彼等(西洋人)に我々を理解させるよりも、我々が彼等を理解するほうが早道である。
 南米のある町で、人と待ち合わせるために立っていたら、車が言私の前で止まり、窓
を開けて、チナと怒鳴って行ってしまった。
なぜなのだろう、とそこに住んでいる日本人に開いてみた。
昔奴隷としてたくさんの中国人が輸入されて来たので、黒人よりも下のレベルとしてランクされていると言っていた。
しかし、自分はチナではなくハポン(スペイン語で日本のこと)だと言えるだろうか。
彼らにとっては、金を持っていなければ同じ黄色人種以外の何者でもない、ということも我々は認識すべきである。
 私は、金を持っていても権力を持っていてもその人を偉いと思うことはない。
ために嫌われることが随分あるが、仕方がない。
 私は、それが何であれ、ひとつのものに秀でた人を尊敬する。
なぜならばその人は必ず努力をしているし、その力は他のことがらにも通じるに違いないからである。
誰でもある程度のことは出来るはずなのに、言い訳を自分自身にもしながら努力しない人がいる。
その人たちは、金を儲けたいのか権力を握りたい人たちなのかも知れない・・・・・・。

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