「音楽現代」2007年5月号 第22回《北京(その4)》

「子供たちの響き アジア」実行委員会  代表 小林武史

 三回日の訪中は一九九二年。
日中国交回復二十周年記念行事として、中国音楽家協会から招待された。
伴奏のピアニストは中国人である。
これこそが、日中友好のために素晴らしいことではあるが…。
 予定の時間より早目に北京に着いた。
中国音楽家協会からは、唯一日本語の出来る金千秋さんが迎えに出てくれていた。
今回は、金さんが通訳を兼ねて、全行程を同道してくれることになった。
 中央音楽院に行き練習。ピアニストは、金さんから前に聞いていた王耀玲さんであった。
母がスイス人で、父が中国人。二人の息子は現在チェロをやっており、
二人ともヨーロッパのオーケストラで弾いているそうである。
 ″文化大革命″のときは随分つらい思いをした、と言っていた。
その頃は、クラシック音楽は認められず、芸術家や知識人が逮捕されていた悲しい時代であった。
 十月の一、二、三の三日間は「国慶節」といって、国中がお休み。
学校も休みだが、ピアニストの王さんに学校の教室を開けてもらい練習。
 通訳の金さんは、今回の国交回復二十周年に合わせて、私の本を翻訳し出版してくれた。
『ヴァイオリン一挺世界独り歩き』という題は、中国語では『一把小提琴走向世界』となっている。
社会主義に対して批判めいた箇所は削除した、と言っていた。
彼女の通訳は突如としてチンプンカンプンになることがあるが、この翻訳は大丈夫なのだろうか?
 この金さん、私がだいぶ前に、ピアニストに渡してくれるようにお願いして送っておいた今
回演奏する曲目のカセットテープを渡してくれていなかったので、練習のとき大変だった。
ピアニストの王さんはかなり歳をとっておられて余り技術がないのに、私が演奏する曲を知らないから困難を極めた。
 私が演奏する曲でどうしても外せないのが、團伊玖麿作曲の「ファンタジア」 である。
テンポも分からず、どうなることかと思った。
 ところで金さんが、各都市で行なわれる私のリサイタルのプログラムに、伴奏者の王さんの
名前を入れるのを忘れていたので、王さんは大変怒っていた。
 練習が終わって食事に行きたかったが、普通のレストランは国慶節なのでほとんどが休み。
仕方ないので朝鮮料理屋に入った。
金さんの両親は朝鮮系なので、キムチは大好きだという。
 朝鮮人と中国人の食生活は大分違うようだ。
朝鮮人はお茶を飲む習慣がないが、中国人はお茶を沢山飲む。
ある中国人が言うには、中国には日本人ほどの糖尿病患者はいない。なぜならば中国茶をたくさん飲むから、だそうだ。
中国ではタクシーの運転手も、お茶の入った瓶を運転席の脇に置いて走っている。

 北京の会場は新しく出来たそうで、大変立派なものであった。
千五百人の客席で、パイプオルガンもある本格的なコンサートホールであった。
この夜のリサイタルには音楽関係者が多く来ていたそうである。
客のマナーもヨーロッパ並みであった。
 以前に較べて隔世の感があったので、理由を開いてみた。
「最近では、ヨーロッパからも沢山の芸術家が来ている。
客席があまりうるさいと演奏をやめて帰ってしまうこともあり、だいぶ教育されたのだ」、と言っていた。
 本番は、ピアノがすっかり上がってしまって、ひどいものだった。
また金さんのプログラムの訳が、「タイスの瞑想曲」をタイランドの瞑想曲と書いてあったので、
王さんがあわてて直したと言っていた。
 金さんは忙しいのだろうけれど、練習にも本番の日も遅れて来るので、私はついに怒鳴ってしまった。
 團先生の「ファンタジア」、ピアノと合わない。
ピアニストはこの曲を全然知らないのと、技術がないために違うことを弾いてしまうのだ。
本番では私も楽譜を見て必死の思いで弾いた。
暗譜で弾いていると、ピアノが違う音を弾いたり違う箇所を弾いたりして、止まってしまうことがあるからだ。
 昔、シンガポールで演奏したとき、ピアニストだけ先に終わってしまったことがあった。
そのときの批評に「小林だけ一人残されて弾いた」と書かれた。
国際交流基金の派遣で行ったので、大使館の人がそのまま翻訳して本省へ送ること
になれば、日本の外務省ではそれを鵜呑みにして、小林は駄目な演奏家だ、ということになりかねない。
 今回の中国旅行は、日本の政府と関係がないのでそんな心配はないのだが、止まってしまう
と大変なことになるので、とにかく止まらないように、音楽に逆らって最後まで弾いた。
 終演後、会場の隣にある音楽飯店というレストランに行った。
そこには音楽協会の人や関係者が何人かいた。
私が奮発して、大きな蛇を御馳走した。
二メートルもあろうかという大きな蛇で「松花蛇」というそうである。
 この蛇をレストランの真ん中に持って来て、皆の前で料理を始めた。
胆も血も、強い酒で割って飲み、色々と中国流に工夫された蛇料理が出て来て皆、満腹したようだ。
 金さんが、私の本が余り売れなかった、とぼやいていた。
本番の日、入り口で彼女が翻訳した私の本を売り出していた。
彼女はそのために何かと忙しかったので、これから出発する武漢行きの航空券の用意を怠っていたようである。
五日のリサイタルが終わって六日に出発なのに、航空券がない。
向こうに行って初めてのピアニストと音を合わせるので気が気ではない。
 結局、七日の夜行で約二十時間、汽車の旅をすることとなった。
中国では汽車のことは火事という。
汽車とは、自動車のことをいうのである……。

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