「音楽現代」2006年12月号 第17回《北イタリア紀行》

「子供たちの響き アジア」実行委員会  代表 小林武史

 閑話休題

 北イタリアに、「ゴリツィア」という町が在る。
 その町で毎年行なわれ、今年で25回目を迎える「リピィツア国際ヴァイオリンコンクール」
の審査を、私は以前から頼まれていた。
実は、これまで要請された3回は断ったのである。
 しかし、今回は、ゴリツィア市の音楽学校でヴァイオリンの先生をされている日本人女性の
増田万里子さん(静岡県出身)が、イタリア人で夫君のピアニストとご一緒に、
このコンクールの主催者でもある、その音楽学校の校長先生の強い要請もあり、
ナント海を越えて我が家に態々、折衝・交渉に来られた。
 私は春と秋に、演奏会のため海外に出掛けることが多く、
このコンクールの開催時期と重なり、これまでは協力することができなかった。
 それに、私にとっては演奏会のない海外旅行というものは考えられず、あまり気持ちが乗ら
なかったのが正直なところである。
 しかし、4回も要望・要請され続けることは名誉なことでもあり、イタリアから遥々、横浜・
青葉台の我が家まで来られたお二人の誠意も汲んで、今回はポジティブに考えることにした。
 さて、『ヴァイオリン一挺世界独り歩き』を刊行してから約4半世紀も持ち続けている“目的”が、私にはある。
それは、子ども達の音楽・合奏で和をつくり、「平和」という、とてつもない難しい二文字の言葉を実現したい、ということである。
 現在、私はアジアだけに留まらず、世界中何処へでも行き、子ども達の指導に当たっている。
そこで、私が審査員になることの条件として増田さんに、「イタリアの子ども達を指導すること」を申し入れた。
彼女は、快くそのことを引き受けてくださったので、今回のイタリア行きとなったのである。
 私はこれまで、或る時はインディオの子どもを教え、また或る所では“乞食″の子どもを、
そして逆に、良家の子女等々も教えてきた。
そのことを通じて確実に言えることは、「子ども達は皆、同じ!」ということである。
 さて、イタリアのコンクールである。
想像を絶するボリュームのある課題曲で、9月7日から17日までの10日間
(中間に1日、休みはあったものの)は毎晩、就寝は午前1時を過ぎた。
 若い人たちの技術が、これほど凄くなってきていることは正直、驚異に思う。
しかしながら、“音楽″となるとまた、別な意見も自ずから出てくる。

 コンクールが終わって、増田さんの夫君の車で移動した。勿論、念願の子ども達を教えるためである。
 1時間半も山道を走り、静かなモッジョ ウーディネーゼという町に着いた。
真夜中の到着にも拘らず、小さいが綺麗なホテルの主人が、
美味しい生ハムとチーズにワインなどを用意して待ってくれていた。
 翌日から、この町の公立小学校でレッスンを始めた。
驚いたことに、レッスンは正味4日間で5日目にはコンサート、というスケジュールが既に組まれていた。
しかも、この学校の「法規」により、1日2時間の授業として行ない、
その間に“おやつの時間”として、休憩も取らなければならない・・・。
 生まれて初めてヴァイオリンを持つ小学4年生16人の子ども達に、どうやって教えたらよいのか、私は頭を抱えてしまった。
そこで、増田さんをはじめ、同行した私の妻(ヴァイオリニスト)は勿論、東京から見学に来た
私の昔の生徒にも手伝ってもらうことにした。
 ここの小学校の先生は全部、女性である。
このクラスの受け持ちである大きな身体をしたソニア先生も、子ども用の小さな楽器で練習に加わった。
初日には、市長さんがご挨拶に見えられた。
 「キラキラ星」から始めるのだが、先ず、楽器の持ち方を教えなければならない。
イチ ニイ サンという日本語を教えた。
辛うじて楽器を顎で挟ませて、弓も何とか握らせ、開放弦のA線とE線で、「タカタカタッタ」を教えた。
 キャンディのことを、イタリアではボンボンというので、これも日本語で“アメダマボンボン”と教えた。
それから、E線の1の指を、何とか押さえることを覚えさせた。
アメダマボンボンと言いながら弾く子ども達・・・。
もう、可愛くて仕方がなかった。
 2曲目は、スウェーデンの民謡で、これもD線の開放弦だけを、アメダマボンボンと弾かせた。
途中、ソニア先生は顎が痛いといって、リタイアしてしまった。
 メロディは、我々と拡声器の付いたキーボードで斉奏した。
子ども達は、とても楽譜を覚える暇がないので、紙にLA MI FA MIと書き、
スウェーデン民謡の方はREとだけ書いたものを譜面台に置いて、読ませた。
 コンサート当日、客席に60ほどの椅子を置いたが満員で、“ビス ビス”という声が響いた。
これは、日本でいう「アンコール」という意味である。
 増田さんの小さな生徒3人も、ゴリツィアから応援に来て、一緒に演奏した。
何よりも嬉しかったのは、子ども達全員が、私に絵を描いてプレゼントしてくれたことである。

 ところで、増田さんの働き掛けで今回の企画にご賛同・ご尽力いただいたのは、
SOROPTI-MIST CLUB(女性実業家・知識人の国際的な連帯と地域への奉仕を目指す団体) である。
モッジョ ウーディネーゼでの滞在費のご負担は勿論、素晴らしい観光をさせていただき、しかも
パーティまでも開いてくださった。ここの会長は、マーラ ボナさんという大柄な女性である。

 帰途、トリエステの空港では、完全武装したイタリア兵が、暗い顔をして屯していた。
聞くと、これからイラクに赴くそうである!?
 「平和」という言葉の持つ真の意味は、いつになれば実現されるのであろうか…。

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