「音楽現代」2006年11月号 第16回《韓国訪問》(その3)

「子供たちの響き アジア」実行委員会  代表 小林武史

 一九九四年の定期演奏会は大成功であった。
 管楽器はN響の人たちに手伝ってもらい、曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番、
同じくベートーヴェンの交響曲第七番などであった。夏田鐘甲さんのバラードも、プログラムに組まれていた。
 ピアノ協奏曲が終わって、韓国 (大韓民国)の指揮者・林元植先生と、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)
の国籍を持つピアニストの崔仁沫さんが抱き合った時、「感激」という言葉は
この時のためにあったのか、と思ったほどであった。
 その後、才能教育東京弦楽合奏団と最後の共演になったのが、韓国のソウルで行なわれた日韓合同演奏会であった。
一九九六年四月三日、ファム・アートホールで、独奏者はアメリカに留学していて、
このコンサートのためにソウルに帰って来てくれたヴァイオリニストのク・ポンジュという、大変上手なお嬢さんであった。
 韓国側のオーケストラは非常にレベルが高く、コンサートマスターは、ヨーロッパやアメリカのオーケストラとも
独奏者として共演している実力派の女性であった。
 現在、アジア諸国にはオーケストラの数も増え、それに比例してレベルも相当上がっている。
 合同演奏の練習は、私のカタコト英語で行なったが、言葉を理解できないメンバーは日本側に多かった。
中学校から英語を習っている日本人なのに、話すことも開くこともできないのは、外国人にとっては不思議なことらしい。
 それは、私なりに考えて、何故、どうして、ということを考えなさすぎる”日本の環境〃にあるような気がする。
陰ではものを言うが、公の席では発言したがらない性格が、学校で教わったことでも
会話になって出てこない、ということではなかろうか。
 この年は、私にとって忘れられない年になった。
この演奏会を以て二十年以上続いたオーケストラともお別れだし、五月にはドイツヘ演奏旅行。
十月には再び芸術祭参加リサイタルを行ない、私は、芸術祭の”大賞”を戴いた。

 私は現在まで、北朝鮮と韓国に四度ずつ演奏旅行をしたことになる。
 北朝鮮や韓国、そして中国にも昔、日本が行なった悪政を伝えるものが残されている。
 韓国で「戦争博物館」に行ったが、韓国の歴史を残す事柄にとどまっていた。
「日本が第二次大戦まで行なった真実を知りたい」という私の質問に、案内人は、
私たちをそこには連れて行きたくない、と言う。
訳を聞いたら、自分は日本人を案内してお金をもらって生活しているので、
不愉快な思いをあなたがたにさせたくない、と言うのである。
 その場所は、ソウルから車で一時間半くらいの所にあり、「独立記念館」という。
今まで二組だけの日本人を案内したが、途中で出てきてしまうほど、とても正視に耐えられるものではない、とまで言うのである。
日本軍が行なった幾多の残虐行為も展示してあって、日本人は見ないほうが良い、とさえ言われた。
 私が、韓国では小学生からほとんどの人が、その「独立記念館」を見せられているのは本当
かと問うと、その案内人は困った顔をしながらも、本当です、と答えた。
 これは大問題ではないか。殺された側の人たちが教えられて、殺した側の人たちは何も知らされないとしたら。
そして、時間が解決すると思ったら大間違いである。
戦後六十年経ってもなおこの“歴史”を教えられている国の人と、近隣諸国に迷惑をかけながら
その教育をしたがらない国の人との「歴史認識」の差は大きい。
 金があると思って優越感に浸り、思考力を奪われている人たちは恐ろしい。
日本が経済恐慌に襲われて、どん底に落ちた時のことを考えてみるべきである。
 戦時中から戦後、食べ物がなくて、私たちはまるで、”餓鬼”であった。
だから、どんな理由があろうとも、絶対に戦争を繰り返してはならない。
 この先、近隣諸国との文化交流で救われるのは、むしろ日本なのである。
悲しいかな、このことを日本人は理解しようとしない。
 ところで、アジア諸国は何処へ行っても湿気があり、弦楽奏者にとっては泣き所である。
一回一回が真剣勝負なので、良い楽器を使いたいのは当然のことである。
 私の持っている楽器は、一七四二年作のジュゼッペ・グァルネリ・デル・ジェズである。
初めて楽器のことを見聞する人には分かりにくいと思うので、少し楽器に付いて述べてみたい。
 楽器の発祥地は、ペルシャ(現在のイラン)やインドだと言われている。
楽器の呼称は国によって違う。
例えばヴァイオリンのことは、ドイツではガイゲというし、ロシアではスクリプカという。
またハンガリーではヘゲドゥといい、チェコではホウスレという。
エジプトではカマンガといっていた。
ヴァイオリンの元祖は 「ラバブ」といって、現在のヴァイオリンとは大分形が違っていたが、
モロッコでは現在もヴァイオリンのことをラバブと呼んでいる。
 もっとも、世界中何処へ行ってもヴァイオリンと言えば通じるが、一つだけ面白い話を書いてみよう。
 日本人ほど外国語の発音が悪い人種も少ないと思うのだが、前に書いたように人の前で発言
したがらない性格もあるが、何でも日本流に直してしまう悪癖があるのも事実である。
例えば、バレーをやっていると言うと、踊りのバレエか、ボールを投げ合うバレーかと質問しなければならない。
ボールの方はバレーなどという発音は世界中になく、無理に日本語にするのならヴォレーボールと言った方が通じるはずである。
 外国に行って通じない言葉を、カタカナで日本流に直すことは、海外に留学する人や仕事に行って
外国語を使わなければならない人にとって大変マイナスになる。
これは、私自身がいやというほど経験したことだから言えるのである。

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