「音楽現代」2006年8月号 第13回《音楽と旅して》(その8)

「子供たちの響き アジア」実行委員会  代表 小林武史

 四回目の訪朝は、一九九五年の四月であった。
  四月の十日に出発するのに、この年は大変忙しく、出発の前日、栃木県の大田原市でリサイタルをやり、
昼のコンサートだったこともあり、その日のうちに横浜市の青葉台にある自宅に帰り、腰の治療を受けて翌日に備えた。
  当日はやはり成田から北京へ行き、馴染みの金千秋さんに迎えに来てもらったが、
北朝鮮大使館の人は来ずじまい。他国の客を迎えに出ていた北朝鮮大使館の人を
金さんが偶然に見付けて、いろいろと打ち合わせをしてくれた。
  金さんにはご夫妻で面倒を見て戴いた。このとき泊まったホテルは、京倫飯店。
中国では、御主人と奥さんの姓が違う。金さんの御主人の
 姓名は安志達で、とても親切な人であった。
  ホテルに着いてから、金さんがタクシーの運転手と言い争っていたので、
安さんに開いてみたら、タクシー料金が高いといって争っているのだと言う。
どこでも女性は強いものらしい。
 近頃、北京では一人歩きをしないほうが良い、と安さんが言っていた。
このホテルでは、TVも日本語でやっていた。
 金さんが、ウシ蛙を食べに行こうと言うのでお言葉に甘えることにした。
私は何でも食べるほうなので、問題は味だけである。
カエルの他にも色々なものが出たが、どれも美味しく、さすがに中国は”食文化の国”だと思った。

 翌日、一時間遅れで北京を出発。
平壌に無事到着、までは良かったのだが、国内に入るとき検査があり、私の楽器を荷物と間違えて、
検査員がボンと投げたのである!私の楽器はイタリア製の名器で、一七四二年の作である。
大分修理も施してあり、壊れやすくなっている。
 今回は東京からは私一人。関西からのグループと一緒になるが、この人たちは別行動が多く、
彼らはいわゆるクラシックではない曲をやることが多かった。
 到着して次の日。午後オーケストラと合わせて、夜はコンサートに出ろと言われた。
 楽器を出して弾いてみたら、案の定ビービーと変な音がする。
これは大変なことになったと慌てたが、どうしようもない。
原因は分かっている。検査のとき投げられたので、表板がはがれてしまったのである。
音量は半分になり、弾く度にビービーという。
 もっとも、この国ではマイクを使うので、音が小さくても関係がないのだが、音がひっくりかえってしまい、演奏にならない。
私は演奏家の良心に従って、すべての公演を断わった。
それでも、その日の公演だけは何としても弾いてくれと言うので、泣く泣く演奏をした。
 今回は四月十日から十八日までだったが素晴らしい時間を過ごさせてもらった。
先ず、楽器が壊れているので練習も本番もできないこと。
次に毎日、音楽学校に行き、私の可愛い子どもたちに教えられたこと。
それから、私の専用車で平壌中走り廻り、食い歩きをしたことなど。
 チャン・チョル副総裁ともお会いして、音楽による交流を深めることの確認をさせて戴いた。
 夜、TVで芸術祭の録画を見ていたら、ルーマニアの青年がヴァイオリンを弾いていて、
余りの上手さに舌をまいた。私たちの知らない大家が、世界中にゴロゴロいるのかも知れない。
 熊の胃を買ったが、どうも贋物らしい。だが、この音楽学校の私の生徒には、一人の贋物もいない。
”世界”は目の前だと思う。
 前に教えた子どもは大きくなって声変わりをしていたが、腕のほうもそれに比例して完全に国際的になっていた。

 平壌の春は至る所に花が咲き、杏の並木が美しい。
今回の訪朝では私の躰はどこも痛くなく、至って健康であった。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)全体の人口は約二千五百万人で、
平壌市には約二百万人の人が住んでいる。
他の都市にも興味があるので四月の芸術祭を外して、国内の演奏旅行が出来るようにお願いしておいた。
 北朝鮮には各道 (日本でいう県) に専門芸術学校があり、一般学生サークルのために、平壌
にある二つの学生少年宮殿と、各道に学生少年宮殿がある。
北朝鮮には九つの道と四つの直轄市がある。もちろん平壌市は最大の都市であり、
行政区であり、北朝鮮の中枢都市でもある。
 平壊に万寿台芸術劇場という凄いのがある。
そこは、主席や海外の来賓が鑑賞するためによく使われる劇場で、大小のレッスン室や、
小劇場をはじめあらゆる設備がある。ステージは、千人以上が出演できる広さである。
客席はゆったりしていて約六百だ。他には六百から六千人入る会場までたくさんあり、
演奏会場や演奏できる会場は数え切れない。
 しかし、面白いことに、各会場には演奏のときマイクと拡声器が使われ、歌にしても、
まるでカラオケを唄っているようである。
 ところで、ヴァイオリンにマイクを使われると、良い楽器も
悪い楽器も区別がつかず、音の本質は大変損なわれる。
この点を何回か指摘したが直してはくれない。
多数ある会場の中で、何ヵ所かはマイクを使わないホールもあるよう
だが、私は一度も経験したことがない。
 余談ながら、中国の李鵬総理の歓迎パーティーに出席したときに、次のような五原則が示された。
 一、相互尊重と内政不干渉
 二、小異を残して大同につく
 三、対話強化と相互理解
 四、相互利益に基づく経済協力
 五、正しい歴史を踏まえた子々孫々迄の友好

 この五原則は、すべての国に当てはまることであり、北朝鮮もまた然りである。
朝鮮半島は、日本の歴史上でもっとも大切な隣国である。
早くこの国の子どもたちとの合奏を実現したいものである。

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