第23回『ストレスで血圧が上がる 4回目の中国正式訪問』 小林武史
中国への正式訪問は4回目である。
あえて正式と書いたのは、北京には北朝鮮の平壌に行くときに、一泊か二泊するので、
中国には何回も行ったような気がしていた。
北朝鮮とは国交がないので、北京でビザをもらうために立ち寄るたびに、北京の町を散策していた。
日中国交回復20周年記念として中国音楽協会から招待され、北京と武漢、
それに上海でのリサイタルを行うために訪中した。
ちょうど10年前に、やはり国交回復10周年記念ということで、ピアノ伴奏者を連れて、オーケストラとの共演もあり、
團伊玖磨先生を団長に、国際交流基金から派遣されたのが、私の最初の中国訪問であった。
今回は交流のため、各地で違う伴奏者と組まされた。
前にもこの欄で書いたが、伴奏ピアニストのよしあしで、独奏者の運命が左右されることが多い。
もちろん何ヶ月か前に伴奏の楽譜とテープを送ってあったのだが、
どういうわけか楽譜は、それぞれのピアニストの手元にあったが、テープは渡されていなかった。
一流のピアニストが一生懸命に勉強しているから、絶対に大丈夫、というのが音楽家協会の人の弁であった。
伴奏とはいっても二人の合奏なのだから、二人で合わせる練習時間は短いこともあり、
事前にテープを聴いておいてもらわないと、非常に動きの多い、未知の曲だと演奏不可能になることもある。
前の東南アジアのある国のピアニストがつっ走って、私より早く終わってしまったとき、
小林はピアニストより遅れて終わった、と批評に書かれたことがあった。
そのことを説明したのだが、ついに理解してもらえなかった。
生まれた初めて演奏する曲というのは、大変こわいものである。
自分で何ヶ月練習したところで、本番のステージの上で何が起こるか分からないのが現実である。
ましてや、ピアニストにとって、初めての曲をたった1回の練習で演奏することは、独奏者にとっても最大の悲劇である。
演奏旅行をしていると、トラブルも多い。
私と通訳が乗れるはずの飛行機のチケットが他に回されて、飛行機に乗れないことになった。
仕方がないので汽車(列車)で行くことになり、そのチケットを入手するために一日遅れて、しかも20時間かかって武漢に到着、
ふらふらだったが、すぐに宴会に出席(中国では用意された宴会を断ることはできないとのこと)。
宴会後、夜9時から12時半までピアニストと音合わせ。翌日演奏会だったが、
ピアニストにとって全くなじみのない難しい曲を一曲、伴奏なしで弾いた。
そして、その夜のリサイタルは全部録音され、湖北省全土に放送された。
みな善意の人たちで、交流は深めることができたが、上海を終わって日本に帰っても頭痛がひどく、
病院に行ったら、ストレスのため血圧が上がっているといわれた。(バイオリニスト)