第26回目掲載 「音楽現代」9月号  


《上海そして雑感(その2)》

      「子供たちの響き アジア」実行委員会
                代表 小林武史

 北京から上海に飛ぶ日、指揮者の姚関栄先生はじめコンサートマスターも含めて
何人もの人が見送って下さった。
 上海では「錦江ホテル」に泊まった。
北京から通訳が二人(女性)そのまま同行したが、上海にも一人、若い男性の通訳が待っていた。
 北京と上海はまったく感じが違った。とにかく人が多いのと物が豊富であった。
 ここでは南京歌劇を観たが、女性の指揮者がタクトを握っていた。
この劇場はやたらとトイレの匂いがした。
 先進国以外の国に行くと、大体一度は必ず下痢をすることになっている。
ここ上海でもそれが起こった。
 各部屋に魔法瓶が置いてあり、その中にお湯が入っているのだが、外の蓋がゆるいせい
か、ゴキブリが瓶の入り口で遊んでいる。
 中を覗いたら、お湯の中にゴキブリの死骸が入っていた。それを知らずにこのお湯を飲
んでいた訳だから、下痢をするのも当たり前かも知れない。
 上海交響楽団は大変上手で、指揮者・黄貽釣先生も素晴らしく、練習も本番も楽しいものになった。
 ところで、近ごろ”上海蟹”というものが日本でも有名になっているが、
私が初めてこの上海蟹を食べたのは香港で、確か一九七二年のことだったと思う。
そして今ここで、本場の蟹を食べることになった。
 こちらの政府の文化部主催で、二百年の歴史を持つ上海蟹専門店(観光客用ではない)
へ招待されたが、上海蟹がこれほど種類多く料理されることに驚いた。
それにも増して、何匹食べたのかを覚えていないぐらい浅野繁君と二人で貪り食った。
團伊玖磨先生はさすがにお上品であった。
 上海では有名な場所「預園」などを見学し、黄浦江遊覧船に乗った。
この船は長江(揚子江)との合流地点まで三十Kmを、三時間かけて往復する船である。
船上からはヨーロッパ風の建物が見える。船上でお茶を飲みながらの揚子江の風は気持ち良かった。
 ここには魯迅記念館もあり、玉仏寺にはビルマ (現在のミャンマー) から来た玉の仏像があり、
その絵葉書は今でも私の楽器のケースに入っている。それほど美しいものである。
 十月二日に出発して、團先生は十九日に一人で日本へ帰られることになった。
空港までお見送りした。夜になって何処かで食事をしようというときに團先生がおられないので、
右も左も分からず食事をするのにさえ苦労した。
 翌二十日には腹痛が激しく、病院へ行った。 二十一日は上海最後のコンサート。
私は腹をこわしていて、力が出ないが頑張った。
 上海でもいろいろな会場でコンサートが行なわれたが、最後の演奏会、ステージに出て
行っても拍手がなく、何となくざわざわしている。
北京でもそうであったが、技巧的な箇所では静かになり、緩徐部分ではざわざわする。
ゆっくりしたメロディーを聴いてくれないか、と腹も立つが、銅鑼やシンバルが鳴り
ジャンジャンと騒々しい伴奏音楽で跳んだりはねたりする京劇に、やいやいと喝宋する客
層であれば仕方のないことなのかもしれない。
 しかし不思議な現象があった。
それはブラームスのソナタ第三番の二楽章で起こった。
このゆるやかな緩徐楽章では、客がしんとして静まりかえってしまうのである。
静かな箇所では退屈してがやがやする客が、ブラームスの二楽章だけは静かになってしまうのである。
浅野君と二人で首をひねったが、解らない雰囲気であった。
 演奏中、テンポが早くチャカチャカしたところで拍手が入り、
演奏が終わったときに拍手はなく、完全に演奏会が終わっても誰も席を立たないのが珍妙であった。
それでも関係者はぞろぞろとステージに上がって来て、観客を無視して我々と一緒に写真を撮った。

 ここの上海音楽院は大変有名で、また優秀な生徒がたくさんいた。
十四歳の少年にブラームスの協奏曲のレッスンをした。
彼は翌年、国際コンクールで三位になり、小林先生のおかげだといって礼状が送られて来た。
なんと義理堅いことか。他の生徒のレッスンもしたが、今度二週間くらい来てほしいと頼まれた。
後にまたこの音楽院を訪ねることになるのだが、二週間滞在することは実現できなかった。

 中国のものは何でも見聞しなければならないと浅野君と二人で話し合い、あるとき動物園に行った。
ここの動物園で 「不四像」という面白い動物を見た。
馬でもなく、鹿でもなく、牛でもなく、驢馬でもないという動物で、世界中で中国だけに存在する珍獣である。
カメラを構えて暫く見ていたら、カーンカーンと鳴いた。ケーンケーンだったかもしれない。
 このとき付いて来てくれた男性の通訳は余りうまくなかったが、人の好い青年であった。
彼に頼んで、外国人が行かない店に鴨を食べに連れて行ってもらった。
外国人用と中国人用のお金があり、我々はもちろん外国人用のお金しか持っていなかったが、
老酒三本も飲んで、鴨一羽の他にいろいろ注文したが、ものすごく安かった。
我々だけでは入れない店だと思う。通訳の青年に感謝した。
北京にも上海にも外国人用の友誼商店というのがあり、外国人用のお金で何でも買える。・・・・・・



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