1972年から現在まで毎年、海外で演奏をしている。
この間、3回ほどは都合で外国に出掛けなかった年もあったが・・・・。
外国旅行では、演奏会を行う度に日記を書いているので、
殆どのことは昔の手帳を読めば蘇ってくるのだが、実は、私は大変な「健忘症」である。
ホテルから外出する時、入って来た方向を忘れて反対の方に歩き出すのは、序の口。
傘を忘れるナンテのは日常茶飯事なので、よほど強い雨が降らない限り、傘は持たないことにしている。
チェコに住んでいた頃、演奏会の数が多く、各地に足を運んだ。
その関係で、日本に帰ってきてからも、海外旅行には、その半分ぐらいはチェコに行くことにしている。
そのチェコの、とある美しい町で演奏会を行なった。
コンサートホールは百席ぐらいしかないが、優雅で音響も素晴らしく、静かな雰囲気であった。
主催者の感じもとても良く、久し振りの身内に会うような接し方で、私を迎えてくれた。
私は感激し、「こんな素敵なホールは初めてです」と言ったら、
「貴方は今度で4回目のコンサートですよ!」と言われてしまった。
或る日、電車の中の網棚に乗せておいたバイオリンケースを忘れてしまった。
それもスグには気が付かず、階段を降りた所でようやく気付く始末。
運良く戻ってきたが、ケースの中にはバイオリン二挺と弓二本、
更には南米ベネズエラ迄の飛行機、ファーストクラスの往復チケット二人分が入っていた。
その上、弓は自分のものではなく、音楽学校からの借り物であった。
値付けをすれば、“億”を軽く超してしまう。
「心臓が止まりそうだった」とは、こういう心境、状態を指すのであろうか。
この時以来、さすがに楽器を忘れることは無くなったが、
もしもスケジュールを書いてある手帳を紛失したらと思うとゾッとしてしまう。
ところで、大問題なのは、頭の中に入っているはずの曲を忘れてしまうことである。
或る年の某月某日、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲をオーケストラと競演した時、
途中で頭の中の楽譜が“行方不明”になってしまった。
コンサートマスターの黒柳守綱さん(黒柳徹子さんの御父上)が
その時、一緒に弾いて下さってすぐ思い出すことができ、ことなきを得た。
以後、私は、どんなに覚えているつもりでも真摯に復誦するようにしている。
近く、伊福部昭先生が私のために作曲して下さった「バイオリン協奏曲第二番」を演奏することになっている。
ヨーロッパでは度々演奏したことがあるこの曲は、日本では滅多に弾くチャンスが無く、たしか20年ぶりぐらいになるはずだ。
各小節ずつ拍子の違うこの難曲を、健忘症の私は、コツコツ粛々と今、勉強している。