二十七年前に亡くなった伯母が、よく言っていたものだ。
「人間、二十年は付き合わないと、本心は分からないよ」と。
今になって、その意味するところが、少しは理解できるようになった。
先頃、渋谷新一さんと二十二年ぶりに再会した。
彼と出会ってから、もう五十年にもなる。
東京の恵比寿で寿司屋を営んでいた彼は、
オーストラリアに移住してしまった。
彼は、自分なりの哲学をもった素晴らしい職人である。
料理人として、オーストラリアのために功績があったことが認められ、「殿堂入りをした」とか。
外から見た日本を語りあって、互いに、時に涙を流し、夜の更けるのも忘れた。
「日本は、坂をころげ落ちているようだ」と渋谷さんは言う。
彼は、日本をひどく憂えていた。
ところで、私はヨーロッパで六年間、暮らしていた。
帰国してからも、毎年のように外国に出掛けるようになって、もう三十年になる。
今年も去る十月、ドイツでの演奏会のため、三週間ほど滞在した。
帰途、昔住んでいたチェコとオーストリアのウィーンに寄ってきた。
どこの国でもそうだろうが、殊に日本は、外からこそ良く観察できる。
このところ、日本人の音楽家も、海外で生活する人が増えてきた。
海外で二十年、三十年と生活する人たちに、現在住んでいる国と
日本に対する率直な意見を聴いてみた。
外国に長く住んでいる人は、個性をもち、ハッキリと意見を述べる。
その彼等の誰もが、日本に対してはネガティブな見方をしていた。
遠くにあって日本を大事に思う心が、
却って日本に対して否定的な見方になってしまうのだろうか・・・。
我が子を叱る時のように。
ものごとに根本的に対応せず、対症療法で何となく遣り過ごし、その場限りにしてしまう。
“日本独特の手法”は、もう許される時代ではない。
グローバルだ、コスモポリタンだと言いながら、
日本国内での報道が正確ではないことも、
長く外国に住んでいる日本人は見抜いているのだ。
ウィーン交響楽団の首席チェリストである吉井健太郎さんは
三十年間、ウィーンに住み、音楽一筋の生活をしている。
日本に対しては、渋谷さんと同じ意見をもっていた。
チェコでは、四十年間付き合っている昔の同僚(オーケストラの仲間)数人と話し合ってきた。
日本に対しては、好意的な感情をもちながらも、
やはり全員がネガティブな意見・見方を吐露した。
何といっても、アメリカ追従のイラク政策・・・。
彼等は、どんなことがあっても、戦争や殺し合いは嫌だ、と言うのだ。
音楽談義にも無論、花が咲いた。
そのうちの一人が、ラケットの形をした古いキーホルダーを、私にくれた。
それは八十歳を過ぎた彼が、一番大切にしていた“宝物”だった。