第9回目掲載 「音楽現代」4月号  


《音楽と旅して》(その4)

      「子供たちの響き アジア」実行委員会
                代表 小林武史

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で、私が紹介された音楽舞踊大学は、予科として六歳から始まる。
専門部、大学部が十八〜二十二歳までで、その後研究院となっている。
別に“秀才班”というのがあり、大学を含めて全国的に優秀な子どもが選抜される。

今日は初日で、生徒二人を聴く。バッハの無伴奏ソナタ第一番とパルティータ三番。
 明日から、先生方と話しをしてレッスンを始めることにする。

 ここで、どうしても説明しておきたいことがある。
私がなぜ、北朝鮮の子どもたちと音楽で接触したかったか、ということを。

 チェコのシュチェパーネック先生の遺言である、あらゆる民族に信じさせる平和と国際理解
という言葉を考えるとき、一番手っ取り早いのは”和合の精神”ということである。
以前にも述べたように、動・植物の共生という事実を、
人間も実現化すべきであり、人間としての義務であると信じるから・・・。
 音楽の合奏の中に競争はない。
メロディを弾く人はリズムを聴かなければならず、リズムを刻む人は
メロディを一緒に弾いているつもりにならなければならない。そして響かせるのだ。
 曲のフレーズの受け渡しもあるし、相手の奏法や気持ちや感情を理解できなければ
合奏にはならない。アンサンブルとはそういうものである。
私が考えているのは、世界中の子どもたちに合奏させることである。
現在たくさんのジュニアオーケストラがあり、国際的な合奏団体もあるようだが、
私が今考えているアジア・ジュニアオーケストラは、実現していない。
アジアというからにはすべてのアジアの国が参加しなければならず、
その間に差別があっては成り立たない。
取りあえず近隣諸国とのアンサンブルを、と考えても、中国が入っていなかったり、北朝鮮が入っていない!
 現在、学校では教えてもらえないだろうが、日本がアジア諸国に大変迷惑をかけたことを
日本国民は、もう一度強く認識すべきである。
そして、二度と戦争を惹き起こしてはならない。
朝鮮半島を分断したのも、日本に責任の一端があることは歴史が証明している。
戦争とは殺し合いのことである。相手の、また他人の痛みを感じられないようでは″人間失格″である。
 北朝鮮、韓国、中国、台湾、この四ヵ国だけでも参加して日本の子どもと一緒に合奏してもらいたい。
ゆくゆくは私の生まれ故郷のインドネシアをはじめ、東南アジア、西アジアも含めた交流を夢見てはいるが、何しろお金がない。
現在、何といっても日本は経済的には他のアジア諸国より恵まれているのだし、
日本が資金面を責任持って行動すれば、″夢の共演″もまぼろしではなくなる。
私は三十年近くも、そのための運動をしてきた。すべて用意ができたと思う。
ただ、スポンサー(一番大きな問題かも知れないが)が見付からない。

 ところで、チェコが社会主義体制時代には、公に宗教音楽が演奏できなかった。
なぜならば、共産主義は宗教否定の論理があるからである。
 北朝鮮も主体思想といえども、社会主義国家なので、当然クラシック音楽はやっていないと思っていた。
そこでどうしても音楽学校を見学したかったのである (西洋のクラシック音楽には宗教的意味合いが強いものが多い)。
 許可されて、学校を初めて見学したときの私の驚きようといったら、なかった。
何と小学生から、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンなど、あらゆるクラシック音楽をやっているではないか!
私は万歳を叫んだ。そして先生方と、政府の方たちとも話し合って毎回レッスンさせていただき、
日本で私の理想とする、アジア・ジュニア音楽祭を実現化することについての賛同を得たのである。
 中国もそうであったが、北朝鮮の子どもたちのレベルは、もう国際的であり、
ただただ目を見張って感動するのみであった…。

 また、日記の続きを書いてみよう。
 三十一日の続き。この音楽舞踊大学の付属小学校から上の生徒たちには、素晴らしい先生方が付いていた。
 さて、食べ物のことだが、日本では朝鮮料理といえば、焼肉と冷麺がポピュラーになっているが、
日本でも韓国でも、「本場平壌の冷麺」という看板が目につく。
実際、平壌には玉流館、清流館、牡丹峰(モランボン)という冷麺を食べさせる有名な店がある。
他にもたくさん美味しい店がある。
 音楽学校には、日本語の大変上手な先生がいて通訳をしてくださった。
音楽家が通訳してくれると、安心してレッスンができる。指導の後、玉流館に行く。
冷麺と焼肉とビールを三人で食べるが、量が多くて食べ切れない。
三人で三十六ウォン払う(当時、一ウォンは六、七円)。
写真を撮ってホテルに帰り横になるが、眠れない。
 あちこ躰が痛い。ホテルの食事も飽きたので夜は町に出て、ここでなければ食べられない
ものを食べに行った (これは内緒)。
 三人で酒をたくさん飲んで、料理を腹いっぱい食べて、六十八ウォン。
通訳の学生と思想について討論する。いろいろな意味で大変勉強になった。
思い遣りという意味が、私の考えとはまったく違うので驚いた 
(後で、彼より上級の通訳と話しをしたら私の意見と合致した)。
マッサージを頼み、薬を飲んで、十時半に就寝。

 日本から来た顔見知りの何人かの朝鮮人に会い、調子良く挨拶したけれど、
名前はまったく思い出せない (私の病気である)。・・・・・・



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