第28回目掲載 「音楽現代」11月号  


《作曲家と私》(その1)

      「子供たちの響き アジア」実行委員会
                代表 小林武史

  中国人の作品を弾け、と言われたことがあったが実現しなかった。
あまりにも中国的で、奏法も違うからである。それは中国人のものとして世界に広めたら良いと思う。
外国人にも演奏可能な曲が出来ていると聞く。
中国の性格的なものを理解することは大変難しい。
だが、最近では現代曲も作られていて、演奏活動も盛んなようである。
現代曲には世界共通のものがある。

一九六一年の暮れに、生まれて初めて外国に行くことになり、そのとき小倉朗という作曲家が
私のために「ソナチネ」を書いてくださった。
彼は 「日本人は日本のものを弾け」と言って、東北地方の民謡を素材にした素晴らしい曲を作ってくださった。
チェコやその他の国でも大変好評で、今まで何回弾いたか覚えていないくらい演奏している。

 私は、幸運な男である。音楽界で、作曲を委嘱する、ということは、作曲家にお金を払ってお願いすることである。
しかし私の場合はまったくお金がないのである。
 お金がないので作曲料はお支払いできませんが、曲を書いて下さい−何という図々しさであろうか。
 結果として十四人もの先生方に、タダで作曲して戴いた。
小倉朗
團伊玖磨
夏田鐘甲
伊福部昭
野平一郎
有馬礼子
永瀬博彦
池野成
林輝
アグスチン・フェルナンデス
ヴァーツラフ・ジェハーク
リヒャルト・コズデルカ
クラウス・プリングスハイム
アドルフ・シェルバウム
などの作曲家が、すべて無料で、私のために作曲して下さった。

★小倉朗
 小倉さんは昔NHKのスタジオでよく一緒に仕事をした仲で、釣り友達でもあった。
しかし彼と一緒に行って、釣れたことは余りなかった。
 二人とも一カ所にじっとしていることが苦手で、絶えず場所を替えるので、他の人にはよく笑われた。
そのころ「事件記者」というTV番組があって、その音楽を作曲していらした。
絵を描くことも好きで、現在鬼籍に入られてはいるが、奥様の主催で小倉さんの遺作展が鎌倉で開かれた。
 私が邦人の曲を弾き始めたのは、小倉さんの曲がきっかけだった。
 このソナチネは、一九六〇年に作曲されて初演は一九六二年。
チェコのブルノ市であった。
その後、小倉さん自ら弦楽合奏用にも編曲されて、私も指揮をしたことがある。
 「俺は作曲より自動車の運転のほうがうまいんだ」と言っていたが、彼の車に私が同乗
していたときに大事故を起こしたことがあった。
同乗者ということで私も警察に同行させられた覚えがある。
 小倉さんに会いたい。また一緒に釣りをしたい。タケシ、タケシといって可愛がって戴いた。
今でも小倉さんの声が聞こえるようだ・・・・・。

昔、日本弦楽四重奏団のメンバーとして演奏していた時代があった。
そのときのチェロ奏者は三鬼日雄という人で、随分お世話になった。
彼もまた「俺の運転は世界一や」と言っていたが、よく車をぶつけていたようである。
 お二人とも本職の音楽には謙虚であったが、趣味である魚釣りや車の運転に関しては、決して謙虚ではなかった。
私は謙虚になるべきものも、法螺を吹く材料も持ち合わせない。
 しかし彼らから受けついだ「心」だけは後世に残そうと思っている。
現在、私が運動している平和と国際理解の問題も、チェコにいたときの師匠シュチェバーネックの遺言もあったが、
昔、私がお世話になった方々の影響も大きい。人間の温かさというものを、私は人一倍、戴いているのかも知れない。



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