第18回目掲載 「音楽現代」1月号  


《楽器について》

      「子供たちの響き アジア」実行委員会
                代表 小林武史

 私の生まれ故郷であるインドネシアに行ったときのことである。
会場の入り口に大きな幕が掛かっていた。
そこには、BIOLA RECITAL と書かれてあった。
 私は日本流に解釈して、「今日の私のリサイタルはビオラではなくヴァイオリンだ」、と言ったところ、
主催者が笑って言うには、インドネシアではヴァイオリンのことをBIOLAというのだそうで、
本当のヴィオラのことは何というのかと質問したら、それはXIOLAだとのこと。
BとXの発音違いで楽器が違ってしまうということの一例である。
 さて楽器のことだが、世界的に有名な楽器に、ストラディヴァリという楽器がある。
それと並んで、グァルネリがある。私の持っている楽器である。
大変ポピュラーな名器なので横文字で書いておく。
GIUSEPPE GUARNERIUS DEL GESU(一六九八年〜一七七四年) (JHS)
 このジュゼッペという名前をヨーゼフという人もいるが、これはヘブライ語の形であって、
イタリア人の間ではしばしば用いられていた。
 デル・ジェスというのは、JESUSのことで、「JHS」というのは十五世紀頃から聖なる
ものとして、建物や街路や町の一角などにもこの組み合わせ文字を書き込む習慣があったそうである。
グァルネリにもこの文字「JHS」がレッテルとして貼ってある。
 グァルネリはいくつかのファミリーがあって、この「JHS」のしるしのある通称デル・ジェスは数が少ない。
もっとも、この作家はレッテルを貼らなかったという説もある。
 ストラディヴァリにもいくつかファミリーがあるのだが、
有名な者はアントニオ・ストラディヴァリである(一六四四年〜一七三七年)。
 この二つのヴァイオリンが世界でもっとも有名であり、また音質も他の楽器を大きく上廻っている。
昔から何百何千とある楽器製作者たちがしのぎを削って製作しているが、これ以上のものはどうしてもできないのである。
 両方の楽器とも保存状能によっては違いが出てくる。
ストラディヴァリとデル・ジェスは音色が違う。最近の大家はデル・ジェスを使う人が増えてきている。

 さて私のデル・ジェスだが、機嫌が良いときと悪いときがある。
もの凄く鳴って良いときは、デル・ジェスの中でも珍しいといわれることがあるが、
機嫌の悪いときはどうしようもなく、ビービーいうことさえある。
湿度に大変敏感で、湿気のある所では不機嫌になるのを、人間の手ではどうすることもできない。
だから雨季は苦手である。古い材料を使って作って合計三百年近くも経っていれば当然のことなのだが
このことは素人には理解してもらえない。いくら言って聞かせても、怒っても駄目である。
 先日もある会場で、練習する部屋を乾燥させるように口酸っぱく何回も頼んでおいたのに、
戸を開けっ放しにしてあって、外は雨が降っていた。私はショックでふらふらしてしまった。
主催者は、除湿器を持って来ましょうと言ったが、そんなものではとても役に立たず、その場
所で何日か練習してきて本番の日、ついに私のデル・ジェスは最高に不機嫌になってしまって、ビービー言い出した。
しかも音量も普段の半分になってしまい、弦を押さえるつぼが狂って調子も合わない状態だ。
これでは下手な演奏ということになり、私にとっては大変なマイナスである。
主催者は済みませんと頭を下げればそれで終わりだが、私にとっては死活問題である。
 私は東南アジアに演奏旅行することが多いので、日本人の楽器製作者が、私にデル・ジェス
と同じ形の新しい楽器を作り、プレゼントしてくれた。
新しい丈夫な楽器は、そんなに不機嫌になることはない。
古い板で何百年も経って、表板の厚さが一ミリ半の箇所がある私の楽器とは違い、丈夫であった。
ただし音色は敵うべくもなく、後は腕で弾くことになる。
 本体の楽器はもちろんだが、弾く弓のほうも大変問題があり、やはり古いものが良く、しかも弓はフランスなのである。
詳しいことは後で述べるとして、楽器の材料のことを述べてみよう。
 f字形の穴の開いているほうが表板で、この材料は松の木ということになっている。
イタリアのクレモナ市は昔から楽器製作の町として知られていて、現在でもクレモナというと弦楽器、
特にヴァイオリンの製作者が世界中から集まって来て、ヴァイオリン製作学枚もある。
 クレモナに住んでいる製作者に聞いた話だが、ヴァイオリンの表板は、赤樅の木が良いといっ ていたが、違うことをいう人もいて、
製作者によっては材料の選択方法が違うのかもしれない。
裏板は楓の木だそうである。これも種類があるようだが私には分からない。
 楽器には頭というのがあり、渦巻きの形をしているが、これは製作者の顔というもので、それぞれ特徴がある。
黒い色をした指板は黒檀が使われる。表板と裏板を共鳴させるために、f穴の近くに、一本の直径六ミリ前後で
長さは表板と裏板の間隔の長さのものが立っている。
この棒のことを根柱というが、”魂柱”という人がいるくらい大切なもので、弦を支えている駒は、裏板とはまた違った種類の楓だそうである。
 この根柱と駒の関係が微妙で、古い楽器、特に私の楽器は一ミリ狂ったらもう鳴らなくなってしまう。
だから楽器の調整は命に関わることであり、私には楽器の”主治医”がついている。
 いつも話題になるのはヴァイオリンのニスについてである。「ストラディヴァリのニスの秘密」
という本を音読んだことがあるが、誰も本当のことを知らないのが現実である。
 アルコールニスとアブラニスに分けられるが、混合して使う人もいる。
ニスの材料であるが、木から出た脂や樹液、またインドの方でとれる、木の上などに棲息する蟻みたいな虫を使うとも聞いた。
それに蜂の巣からとれるプロポリスというものも使っているようである。
またサボテンに付く虫もニスの材料になるそうだ。・・・・・・



随筆欄TOPに戻る